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松井孝治参議院議員政策対話シリーズ 福祉編

「チャレンジドを納税者にできる日本を目指して」

パネルディッスカッション 


(第2部)パネルディスカッション

松井孝治

普段はみんなスーツで揃っているのですが、私もさっきまでネクタイをしていましたけれども、ネクタイを取って。

今日はナミねぇ、ノーネクタイでやらせていただきます、よろしくお願いします。

竹中ナミ  私もノーネクタイです。(笑)

松井孝治

わかっとるっちゅうねん(笑)。三人は国会議員ですが、今日は国会議員とかそういうの抜きにしてやりたいと思います。

まず、最初に山井和則さん。ナミねぇの話しを聞かれ、ビデオも見ていただいて、またその前に15分ほど弁当をかきこみながら個人的にお話をされ、率直なご感想とか、山井さんからこれナミねぇに聞いておきたいことがありましたら、お願いします。

 

山井和則

今日はナミねぇさんありがとうございます。前々より松井さんからお話を聞いており、今日は会えて本当にうれしいです。ナミねぇは松井さんのこと松井ちゃんって呼ばれておりますよね。

竹中ナミ  そうです昔から、松井ちゃん。

山井和則

じゃぁ、今日は私も山ちゃんで。今日は私、ビデオを見て、本も読み、びっくりしたのは、私は福祉の活動をしていながら、体の不自由な方はあまり仕事できないんだと、先入観で見てしまっているんですね。

今日午前中、福祉のバザーに行ってきて、私が5,6年前からの知人、かなり知的障害のある方が太鼓を披露されたんですね。こんなにすごい太鼓を打たれるのかと、感動したんです。 

日本は障害のある方は保護しなくてはだめだ、一般の人よりも能力は低いんだとレッテルを貼ってしまって、それを前提にしてどうやって助けてあげようかと考える。

それをこうしてコンピュータを使って、まさに誇りを取り戻して、いろんな能力を発揮してって言うのはまさにすばらしい。改めて感動しました。

それとともに、今まで能力を引き出されなかったチャレンジドの方に対してとても失礼なことだったのです。その能力を一生使うことなく終わっておられたわけですから。

ITの授業の実情は?>

そして、こういう能力を発揮してもらうことは絶対必要であると思うんです。

ナミねぇ、一つお伺いしたいんですけれど、ここまでITを使ってチャレンジドの能力を引き出せるんだったら、小学校、中学校、高校のあるいは養護学校の中で、こういったITの授業というのはされているのでしょうか。

<保護するからと、教育は受けられなかった>

竹中ナミ

昭和54年まで障害者は義務教育の義務を免除するとされていました。義務を免除するということは「しちゃだめです!」と止められることです。今30歳以上で幼い時に障害をもたれていた方は義務教育すら受けられなかったことが多々あります。それから高等教育も例えば車椅子の人はうちの学校にきてもらっては困ります。点字では入試はできません。聴覚障害の人は手話通訳・・・つきません。 

要するにこれだけの学歴社会の中で、学歴を得る手前のところで全部シャットアウトだったんですよ。それが日本の国だったんですよ。日本の国は障害をもってぃる人を分けて保護を与える。つまりイコール隔離ですね。 

隔離して世間の荒波や、冷たい風に当てないようにしてあげようと。

<隔離はいや!>

一見親切そうに見えながら、実は出てきてもらったらいろんなことを一緒に考えなければならないので困るのです。

この前のハンセン病の判決にも出たように、いくら世の中から守ってあげるつもりでやった福祉であっても。隔離は当事者たちの中からNOともう答えが出たわけですね。 

ですからこの答えが出た時代であると同時に、ITのような世の中、道具、縦も横も関係なくつながっちやう、時間も空間も超えてつながる道具をどうやって使っていくのか新たなセッションに入ったんだなと感じます。 

だから、養護教育の中でも、この子達は一般学校では無理だから、こっちにいてるんやという考え方がまだまだ多いですけれども、そこを変えていくためにITは有効であると私は考えるんですね。 

<養護学校のネットワーク>

今大阪に養護学校は約40校あります。盲、聾、肢体、知的、病弱と養護学校は5種類ですが、何らかのサポートが必要な児童がいま1万数千人いるそうです。この40校を全部コンピューターネットワークでつないで、情報網化を勧めていくのを今、プロップ・ステーションでやっています。「OPEN」という実験プロジェクトです。ホームページでも発表しているのでぜひ見てください。

http://www.prop.or.jp/

そこの中から様々な教育用のソフトウエアや、勉強できる仕組みを開発し、教師向けの講習会をしたり、進めている最中です。 

<本物のIT革命>

IT革命は、力を持っている人がより力をもつために、お金持ちの人がよりお金持ちになるようにと発想されてきたわけですよ。

でもそうじゃなくて、弱いところこそITによって生かすことができる。 

つまり、弱肉強食ではないIT社会を生み出すのが本当のIT革命だと思っているんです。ITはたんなる道具ですから、どちらにでも使えるんですよ。「弱者」なんていう失礼な呼び方されていた人も、そうじゃなくなるためにも使える。そういうことを伝えたいのです。

 

松井孝治

 ありがとうございます。 

<ファンクラブ>

ビデオの中で、いろんな方がナミねぇの情熱に圧倒されて社会的な応援団、ファン倶楽部みたいなものができている話しがありました、実は私、その一人なんです。役人とか、知事さんが多いんですけれども行政の方々が、自分たちとまったく逆の発想をしている方がいるとみんな驚かれるんですね。私も通産省にいたとき驚いたんです。 

<発想の転換>

自分たちが政策を作る側として、施策、せさくっていう、「施し」という字を使うんですね。そういう施しを行っている、政策を提供する側の立場に立ってしか物事を決めていなかったんだなぁと。ガツンとショックを受け、それを私自身としてもその時それを感じましたね。 

つまり、主体がね、政治家が政策を作る視点から見るのではなくて、自らがチャレンジドのお子さんを持たれたナミねぇの発想は、何度お話を聞いても新しい発見がある、今日もやっぱり聞いていてジーンときました。 

福山さん、途中からおいでいただいたので、前の話をお聞きになっていないのですが、その点を差し引いて、ナミねぇとはご面識はおありなので、ご感想とナミねぇに聞いて見たい、会場の皆さんに投げかけたいことがあればお願いします。

 

福山哲郎

<ナミねぇから力を>

皆さんこんにちは。福山です。遅れてきて申し訳ありません。ナミねぇお疲れ様です。お久しぶりです。っていっても最近どっかでお会いしましたよね。 

ナミねぇと私の出会いは、7年前、私が浪人で無一文の時に「障害を持った人にいい音楽を聞かせて音楽の才能を目覚めさせよう」NGOや、「命輝け第九コンサート」などの活動をお手伝いしていました。 

最初の出会いは、僕どこで見たんだっけかなぁ・・、ナミねぇのニュースを見たんですよ。そのころ私は志だけ高くてですね、・・・今もあるつもりなんですけれど、大阪のマンションまで訪ねていったんですよ。いきなり電話して、「テレビ見ました、行きたいです」と。で、大阪のマンション訪ねてですね、出てこられたのが、この方だったんですよ。まぁ・・・・。

 

竹中ナミ  そんな、ネス湖のネッシーちゃうねんから・・・(爆笑)。

福山哲郎

いや、ネッシーネッシー。びっくりしましたんですよね。「いろいろと勉強させていただきたいと思ってまして」と小さくなりながら言いました。そしたら、「あんた、こんなんええで、こんなんええで、発想間違ったらあかんで!」、ととにかく怒られたんだか、教えていただいたのかよく分からない状況で、こんなエネルギーのある人がいるんだと、ずいぶんその時に僕も頭をたたかれた思いがしました。 

7年前から>

大阪でチャレンジドのプロップステーションフォーラムがあった時に僕参加したんですよ。そのころはまだ参加者が少なかったが、参加者の中には、通産省の役人、NEC、富士通とか有名な企業がいっぱい来てたんですよね。僕はその時浪人でしょ。部屋の端っこのほうでね、ちっちゃーくなっていたんですよ。 

そして、当時はですね、役人は偉い人だと思っていたんですよ。当時は、っていったら怒られるかな。あ、日本の役人も捨てたもんじゃないな、こういう第一線の活動に、課長さん級が沢山来ていて、日本って捨てたもんじゃないんだ、こういう人たちと一緒に政治をやるためにがんばろうと大阪の会から帰ったのを覚えています。

そういう意味で、僕の浪人中のエネルギーをナミねぇからいただいた。 

現実には、障害者の行政って7年前よりほとんど進んでいないですよね。介助犬や介護犬を一緒に連れて回れるようになったのもついこの間、通ったばかりですし、行政の中で、さっき言われた施し、ハンディキャップ、隔離だ、とかおっしゃいましたけれど、これは一部の役人は分かっていているけれど、全体としての役人はぜんぜん動いていないのが僕の印象です。 

ナミねぇ10年戦ってきて、どうですか?

 

<役所に期待することやめませんか?>

竹中ナミ

役所って最後に動くんですよ、巨大な像ですから。 

スタンスの軽い人間がこうやって動いちゃったらいいの。だから役所に「動け!」なんていうのはそもそも無理。

ただし、役所が動ける状況さえうまく作れば動けるんですね。責任感じる人がいるから。だから、

「あんたは何年そこにいるの?」って、

「ほらほらほらこうでしょう?・・・」なんて見せてあげたら動けるんですよ。それでも動かん人もいるけどね。その人は役人辞めていただきたい。 

<自分がやるべきことは?>

だから、さっき松井ちゃんが、国会議員の立場を離れてって言われましたけれど、離れないでくださいね。 

「国会議員のバッチを何のためにつけているの、あなたたちは!」。

何のために官僚やってるの。

何のためにそんなたくさんお金持ってるの。

何のためにっていうのを自分自分に考えて言ったら、

私だって何のためにこの子のおかあちゃんしてるのっていうことになる。

自分の職責、立場でおかれている状況で、考えていったら、やれることはみんながみんなおんなじではない。 

私はお金もなければ、バッチもない、何にもない55のおばちゃんですもん。一人は弱いというけれど実は一番強い。

その一人が変わったら実はガラガラって変わる。それぞれの立場で、自分がやるべきことをやる気になったら、社会は変わります。 

だから「役所に何かをしてもらう」って言うのはやめません?

 

松井孝治

<福祉をどう変えられるか?>

本当にその通りですよね。僕ら三人の役目は役所にアドバイスしてもらうんではなくて、こっちがいかにして動かしていくかという発想です。 

それで、山井さんは介護問題、高齢者福祉の問題にずっと取り組んでこられました。この前もスウェーデンいってこられましたし、福祉の世界も種類で非常に縦割りになっています。障害者問題一つとってみても、福祉の問題、雇用の問題、今は厚生労働省一つでやっていますが、そういう縦割りが役所にはいっぱいあります。それが今の政策の現状です。 

山井さんから見てどう変えないといけないのか、役所に施しを受けるのではなくて、こっちから役所変えていったらええやないかという発想も含めて、山井さんご意見いただけませんか。

 

山井和則

私は20年、老人福祉を中心に活動していて、老人福祉と障害者福祉は似ている部分もあるが、違う部分もある。障害者福祉の問題は、残念ながら、うちには関係がない、ひとごと、困ってはる人の問題だと。

老人介護問題はみんなの問題で、障害を持っている人の問題はうちには関係がないと、なかなか連携がとれない。 

しかし、私は、老人福祉と障害者福祉の問題が実を結んでいかなければならないと思っているわけです。

<納付金>

障害者雇用促進法案は、厚生労働省が、一般企業は従業員の中の1.8%障害者を雇ってください、公的機関は2.1%雇ってくださいと言っている。ところが全国平均は1.48%でまだ達していない。特に大企業は56%が達していない。何でかというと、雇用率が足らない分だけ一ヶ月につき5万円だけ払ったらいいわけですよ。会社は雇うと手間とお金がかかるから5万円払ったほうが安いというんですよね。 

それとか精神障害者の方はあまり雇われていないんですよ。法定雇用率の中は知的障害者と身体障害者しか入っていなくて、精神障害者はカウントされていないから雇っても意味ない。もっと腹が立つのは、重い人は2人分にカウントされることもあるんですが、同じなら軽い人のほうが楽だといって軽い人をよって雇うわけですよ。

この現実は、チャレンジドの能力を引き出そうというのではなくて、どうすれば安く、楽して義務が果たせるかという・・・理念がまったくないと思うんですよね。そういう現実を見てショックを受けているんですけれど、ナミねぇ、こういう法定雇用率を決めてやる方法はもう限界が来ていると思うんですけれども、いかがでしょうか?

 

<人間がカウントされていいのか?>

竹中ナミ

今、罰金払って済ましたらいいという話が出ましたけれどね、今はどんどん厳しくなってきてね。リストラでね、分母が大きくなって来てますし。 

この法定雇用率は、雇用率を達成したしていないという話ではなくて、人間を数値でカウントしているんですよ。こういう活動していますから、企業の人事担当者の方いらして

「うち、職安から指導受けました、障害者の方紹介してもらえませんか?」

「いったいどのような仕事ができる人が必要ですか」

「とりあえず2ポイント足りないから車いすの人、一人・・・」

「あのなぁ・・・」 

これが障害者雇用率の欠点だと思うんですよね。 

障害を持っている人たち自身も雇用問題の運動として、

「お前とこの会社は雇用率ポイントが足りないから自分ら雇え」という。 

自分から数字になってどないすんねん。両方がこの数字のマジックにはまっているわけですよ。 

<いろんな働き方がある>

雇用率というのは、正規雇用をカウントします.

ところがプロップで勉強している人たちは、精神の障害の人は調子がいい時は何か仕事ができるけれどそうではない時もある。体調のいい時はコンピュータに向かえるけれど、冬は呼吸器が弱くて来年の正月迎えられるかしらという方だっている。1日2時間だけしか働けない人もいる。 

そういう人たちはこれまで働く対象ではなくて厚生省の保護政策を受けてきたんですよ。ところがそういう人たちが働けるわけですよ。ということは、正規雇用を前提にした法定雇用率制度は、働ける人をおもいっきり足切りしているんですよ。 

例えば、車椅子を使用しているけれど上半身も知能もまったく問題のない人だけ取り合いする。車椅子を使っている、知的も合併している、そういう人は採用しない。車椅子を使っているだけで2ポイントですから。一番効率のいい人を採る。ここに姑息さが間違いなく入ってきてしまう。

<海外はすでに動き始めている>

ILOでも法定雇用率だけでの推進の限界をはっきりといわれています。フランス、イギリス、いろんな国で考えられているのがアウトソーシングです。 

プロップ・ステーションでは在宅の人に、仕事をしてもらうために、プロップが企業・自治体と契約を交わして、そのお仕事を一人一人のできる量で配布することをやっていますが、そういうところに一定量のお仕事をアウトソースした時に、雇用率にカウントするのか何か分かりませんが、企業へのインセンティブになるような条例を作るとかね。あるいは政府調達とか公共事業の入札条件に、必ず雇用率達成、チャレンジドの人に何かを必ず担ってもらっているとかね、なんか、雇う側にいろんなインセンティブを持たせる法律はもうすでにいろんな国で考えられているんです。

<行政施策ではない!>

ところが日本は、昨年はちょうど雇用率の見直しで1.6%が1.8%になりましたが。残念ながら中身の見直しはなかった。 

雇用を推進しようとしている企業に対して道具立ての補助、例えばスロープをつけなければならないと補助したり、お給料の一部を補助したりを、納付金(罰金)でまかなわれています。 

ですから、達成企業が増えれば当然納付金は減りますから、こういう補助はできなくなるわけです。納付金が少なくなったらどうしているかといったら、「では雇用率を上げます」・・・これを繰り返しているんですよ。悪循環に陥る仕組みになっているわけです。

しかもこれは労働行政が責任を持てやっているのではなくて、労働行政が日本障害者雇用促進協会って言う外郭団体に丸投げし、そこがまた地域障害者雇用促進協会へと丸投げしてそこが窓口になってやっているだけなんです。

行政施策といいながら実は違う。 

そういうおかしいことはそろそろやめませんか?

 

松井孝治

おっしゃる通りですね。今年、障害者雇用促進法という法律が改正されました。おそらく改正せんよりは改正したほうがよかったのかもしれないですけれど、根本的な価値を変えるようなものにはなっていませんね。従来型のやり方の少し水準を変えてみるとか。我々が議論している法律は、そういうことが多いです。

<ユニバーサル社会>

しかしさっきからナミねぇが言ってはるのは、「ちょっと発想を転換してみませんか?」ということだと思うんですよね。ナミねぇがユニバーサル基本法を作ろうとしておられますけれども、この基本的な考え方、従来の施しと保護と隔離の延長線上にあるチャレンジド政策をどう変えていくのか、おそらく皆さん「ユニバーサル」って聞いたことあるかと思うんですけれど、僕も含めて正確には理解していないので、その辺も含めて、ナミねぇ、一言ご意見をいただけますか。

 

竹中ナミ

バリアフリーという言葉は皆さん知っていると思うんですよ。段差を取り除く、障壁を取り除く、そのためにこうしましょうと。 

ユニバーサルはそうではなくて、例えばここにスロープがあれば車椅子の人も通れるし、階段で少し足が痛い人も通れるでしょう、っていう発想です。 

<意識を!>

つまり全ての人にとって、使いやすい、これをユニバーサル社会っていうんです。ユニバーサル社会ってこれは私の造語で、ユニバーサルデザインが正式な言葉なんですが、デザインはハードの面だけと思われがちですが、そうじゃない。

意識の面を含めてユニバーサル社会。

これは「全ての人が自分の持てる力を発揮できる社会」と私は意義付けています。 

いまの世の中は「できないことを埋め合わす」ところから福祉が行われていますが、そうじゃない、できるところの力を全部引き出すための考え方になっていきましょう。 

それを、基本法として、建築バリアフリー、交通バリアフリーといろんな法律が、今出てますけれどその上に、意識の問題も含めて包括するような、新しい憲法にしたいと考えています。

松井孝治

なるほど。

福山さんは民主党、国会の中でも環境問題の第一人者ですし、若いころから海外に出かけていろんな活動を農村に入ってされています。いまナミねぇのほうから、価値観を変えて行こうじゃないかというお話が出されましたけれど、福山さんの最近の問題意識でその辺についてご意見いただけますか。

福山哲郎

一つはですね、さっきの法定雇用率1.8%の話なんですけれども、さっき山井さんからあった5万円の罰金、それは逆に言うとハードに使われる・・・と結局数字に追われるとナミねぇから話もありましたけれども、根本的に実はおかしくてですね、数字で表すのはよくないのは百も承知なんですが、本気でやるならば、罰金を50万円にしたら間違いなく雇うようになるんですよね。 

5万円払ったほうがコストは安くなる逃げ口を作っているわけで、それはある種、形としては制度を作っているが、「逃げ口はありますよ」と役人が誘導していることになる。 

そこが役人社会、役人が作ってくる法律とかいろんな問題の中で私たちが戦っていかなければならないし、指摘をしていかなければならない、それが一点。

二番目はですね、高齢社会になる、高齢社会は足腰の弱いお年寄りがあちこちを歩くようになる、耳の不自由なお年寄りが町を歩くことになる、見えないお年寄りが町を歩くようになる・・・そうすると、それはひょっとすると障害を持った方が障害者と呼ぶとか呼ばないとかっていう問題は別にして、人間は生きていく中でいろんなところに体が衰えてくる状況があり、そういう人たちが世の中に増えてくる社会だから、ある意味で、高齢者にとって優しい町と障害者にとって易しい町は僕は同義語ではないかと思っているんです。 

そこでいうと、さっきユニバーサルデザイン、社会って言う話がでましたけれど、高齢社会っていう考え方の中にそういう価値観は間違いなくいれていかなければいけないと僕はずっと思っています。 

<国会と点字>

そして、情けない話だけれど申し上げると、今、参議院の環境委員会に憲政史上はじめて全盲の環境委員長、堀さんという参議院議員の方が就任された。この時に僕らびっくりしたのですが、環境省には未だに、目の不自由な方のための点字の資料、法案の説明の文章とか、を作るようなシステムが今の今までなかった。どういう風な仕組みをすればいいんでしょうと大騒ぎをしています。

厚生労働省はある程度点字の仕組みをしている。じゃぁ、国土交通省と財務省と他もまだ一切ないわけです。 

で、そういう状況から言ってナミねぇの言われるユニバーサル基本法は、国として何とか前向きに発想していきましょう、そういう捉え方でしていくと自然に、役所の中にだってユミバーサル社会の仕組みができてくる話になるわけです。それを法律を作らなければやらないのは悲しすぎますよね。

話を伺っていてそんな感じがしました。松井さんからいただいた課題に答えられたかどうか分かりませんが。 


<法律も時代に合わせて変化を>

竹中ナミ

法律も道具なんですよ。算数も国語もある意味人間にとっては道具です。つまりそれを今の自分に応じてどのように使っていくか。ユニバーサルはいろんなものさしを持つことです。法律で全てが解決するわけでは絶対無い。おっしゃるとおりです。ただ法律も道具として時代に合わせて変化しなければならないと思いますけれど。それが全てではないことは勿論です.

 

<役所では!>

松井孝治

その通りでして、実は今日配布させていただいた資料の中に、新聞記事を入れていて、奇異に感じられた方もおられるでしょう。今朝(2002.05.26)の朝日新聞の朝刊に、経済漂流って言う記事が載っています。

竹中平蔵さんなんかに取材をされていて、私のコメントも出てくるので入れました。 

今の役所の仕組みは、仕切り仕切りの中で仕事をしているんです、役所の人間全て悪いとは言いませんが、仕切りの中で仕事をして、また外に出して下請け、孫請けという形で仕事をしている。そういう中でいろんな政策がそろえられているんですけれどね。

中央が一番偉くて、中央の各仕切りの一番トップの人がその制度を作って施しをやってるんだよと。だから業者にしてみたら「私は厚生省にお世話になっているけれど、こっちの話したら労働省にいけ、こっちの話したら県にいけ、市に行けと・・・・」。 

全部行政側、施しを与える側にとって整理がつきやすいようになっている。だから、小泉内閣でも何かしようとすると役所の壁に突き当たってしまって前に進まない。 

僕は、「霞ヶ関では1000人の課長が拒否権を持つ」って書いているんですが、要するに1000人がそれぞれ司司の分担を持っていて、その人が都合のいいような制度になっているというのが今の問題です。

<力が発揮できる社会のために>

チャレンジドの娘さんの親の立場から、こういう社会になって欲しいという視点を受け止めるところが中央官庁にはなくて、まだ政治の中にもそういう仕組みを作りきれていない。それを僕らこそがデザインしていかなければならないと。だからユニバーサル社会を作っていくべきだし、おそらく福山さんがおっしゃりたかったことは、法律はもちろん道具だし、使いこなしていかなければならない。でも法律だけでできる問題ではなくて、僕らが意識を変えていかなければいけないということだと僕は受け止めています。 

ナミねぇがおっしゃったチャレンジドであろうとなかろうと、われわれは大なり小なりそれぞれがチャレンジドなんですね。それぞれにふさわしい課題を持っているわけなんですね。その人間の力が発揮できる社会のために僕らは一生懸命がんばっていかなければならないと考えます。

 

ちょっと会場からの質問をいただいて、質問のお答えをしながらフリートークを終わらせていただきます。

会場@

これからの社会に向けて、身体障害者とか高齢者社会にどのように貢献していくべきでしょうか。

会場A

地域の声に具体的にこたえていく地域の仕組みっていうのはどういうのがあるのでしょうか?

会場B

一般的にいわれる障害者施設の社会福祉法人の実態についてどのようなご認識をお持ちですか。

会場C

スウェーデンの障害者雇用の率はどうですか。日本と比べ物にならないほどですか。

松井孝治

それぞれのご判断で、ファイナルコメントをお願いします。

山井和則

<雇用率は日本だけ!>

スウェーデンの雇用率のお話ですが、まさに問題はそこなんですよ。雇用率を決めているのは日本ぐらいなんですよ。アメリカはどうか、そんなセコイね、到達しなかったら罰金食らうとかねぜんぜんないんですよ。そういうことをしだすといかにも、雇うたっているという発想になるんです。例えばアメリカだったら障害者権利法があって、障害者だからといって雇ってもらえるわけではないけれど、能力のある人はバリアフリーや補助用具をきっちりそろえて、障害者だからといって差別をされない仕組みをしているわけですね。法体系がまったく違う。スウェーデンでもアメリカでも雇用率の話をしたら笑われるんですよ。数字に何の意味があるんですかって。

働ける人は働いてるし、その人が車椅子だったら車椅子に対応している、当たり前じゃないですかって。本当に日本みたいなやり方、笑われます。雇用率のあり方、これはこれからのナミねぇのリーダーシップにもかかってくると思うんですが、変えていくか日本版障害者権利法のようなものを作っていかなければいけないでしょう。

<距離を縮めたい>

それから、宇治なり京都から何がしていけるかだと思うんですが、一つ目は障害を持たれた方が一般の家庭教育環境からあまりにも隔離されている。二十歳まで障害を持った人と接したことがない話をしたことがない大人がいっぱい社会に勤めている。それでは福祉は進まない。一般教育の場で交流なり、統合なり、共生なり、これは文部科学省の管轄ですけれど、バザーなど交流を深めていくお互いの距離感を縮めていくことが必要だと思います。そういうことにこれから私もがんばって行きたいと思います。

 

福山哲郎

難しい質問がいっぱいでして、私が答えられるのは・・・地域の中の福祉研究会があって、地域の中でやっていかなければならないのではないかというお話があって僕はその通りだと思いますが、やっぱそこには金が要りますよね。お金も知恵も要りますし、当たり前の話ですが地域にある程度の権限とお金を渡すような仕組みが、そこで自己完結ができる、全てを中央の役人が支配するような形はやめたいと一般論として思います。 

<地域に権限と財政を>

最初の方が弱者として差別をされてきたというお話がありました。実は今国会で、人権擁護法が初めて出てきました。これは障害を持った方だけの話ではありません。外国人の人もそうですし、日本にあるあらゆる差別に対してどういう風に救済をしていくんだということに対して国際社会の要請に伴って始めてこの国で出てきました。

しかし中身は、道具としてあまりできばえがよくなくて何とかしたいと思っているんですが、これは障害を持った方も外国の方もおんなじだと思っています。この国には差別、隔離であるとか、そういう流れの中でいろんな仕組みができている。そこはいろんな道具を使って皆さんの意識も変えていかなければならない。遠い話かもしれません。そういう抽象的な話しかできないことに対して悔しい思いをしながら、今お話をしています。 

<本物の国際化>

障害を持った人の話ではないのですが、私は国際化という話の時にこういうたとえ話しをしています。英語ができる人を作ること、留学をする人を作ることが国際化ではない。例えば自分の息子が小学校から帰ってきて「ただいま、今日友達が遊びに来るの、ベト君と金君とツルゲーネフ君が遊びに来るけどいい?」って言った時に親たちが「よかったね、いい友達がいて、遊べるの、どんどん連れてらっしゃい」って心底言えるかどうか、自分の中に問いかけてくださいと僕はいっています。

<可能性がある>

例えばその中に、障害を持った方たちと自分がどういう気持ちを持って接しているかをそれは一人一人考えていかなければ行けない。そのための道具としての法律や行政は必要だと思いますが、その中でチャレンジドの人たちがいろんな可能性を持っているんだよ、あなたたちが見ている障害を持った方と違う可能性があるんだよと教えてくれたのがナミねぇでした。

 

<障害者権利法を超えて!>

竹中ナミ

今日は、こういう若い人たちに囲まれて嬉しいな(笑)。 

今いみじくもご自身でおっしゃったように、障害者だけの問題ではありません。女性の問題、国籍の問題、貧富の問題。でも、ADAは障害者法なんですね。 

日本はそれを越えた議論をしなければならないという議論を、今、私たちもしたので、障害者だけの問題ちゃうなと。障害者が働く時の壁も、外国の人が働く時の壁も、いっしょやんと言うことです。

それで、ユニバーサルっていう発想を持ってきたんです。障害者、高齢者って言う話ですけれども、今、日本の障害者手帳の発行が六割、ついに高齢者になりました。つまりこの間に差がない。せやけど日本は何とか障害者と健常者区別しようとしている。 

ところがアメリカはどうかというと、

「今障害を持つ人」、

「まだ障害を持たない人」

という発想をしています。

日本もこれからこういう発想をもてるかどうかというのが一つの試金石ですね。

 <地域から変わろう!>

それから地域というものですけれども、教育、交流、スポーツ、いろんな意味で地域コミュニティーが変わらない限り国全体は変わらないと思います。

地域から変わってやろうじゃないかという思いで、地域住民がいろんなアイデアを出して独自のことをした時に多分そういうのが広がって国が変わるだろう。宇治なら宇治、京都なら京都の皆さんに明日の日本はかかってるんではないかと思います。  

<健常者が多いだけ>

地域というのは、健常者の集まりに障害者をお招きしてあげようとか席を用意しましたどうぞとか、これからは違うんですよね。 

うちの場合はフォーラムとかする時に、裏方全部チャレンジドなんですよ。オープニングムービー作る、プログラムデザインして印刷する、ホームページから申し込みできるようにする、全部チャレンジド。

うちたった10人のスタッフしかいない組織ですけど、七人が一緒に勉強してきてプロになったチャレンジド。もうあっちが多数派ですわ。私らたじたじ。 

単に今日本の常識がこっち(健常者)の多数派が強いよといってるだけのことだなと。そういった細かいことをきちっと変えていけるのは地域からだと思います。

<サムハルが目標>

スウェーデンにプロップが目標にしている「サムハル」っていう会社があります。これは3万2千人の従業員のうち2万9千人がチャレンジドという会社です。 

これは30年前にスウェーデンの厚生事務次官みたいな人が国策として作ったんですね。

まずそこで働けるための技術を磨ける場所にしようと大きな税金つぎ込まれました。そこで働けるようになり納税できるようになったことで、この30年間でつぎ込んだ税金よりもその人たちからもらう税金のほうが何倍も大きくなりました。 

障害者福祉っていうと、スウェーデンや北欧はついつい高齢者福祉が進んでいるとか親切な国のように思いますが、実は違う。

非常に税金が高い。 

だから障害を持たない人が月々20万円稼ぎ、重度の人が10万円稼いだとする。同じように28%税金を払うようにいわれます。けれども。この10万円のチャレンジドは「この28%の税金を払うのは僕の権利だ」といいます。28%の税金が払えるように全部仕組みが作られている。 

そこが日本の先ほどの姑息さ、雇用率の姑息さと全然違う。この税を払っているから自分は働けるという自覚も日本の人には少ない。

<二種社会福祉法人>

最後に社会福祉法人の問題ですがプロップ・ステーションは施設を持たない社会福祉法人なのでいわゆる二種社福で、数はそんなにないんです。 

皆さんがご存知の社会福祉法人は一種社福です。老人ホームだったり、保育所だったり。施設があって、措置という制度の中でまず補助金有りきなんですね。国や自治体がそういう社会福祉をさせるために、社会福祉法人に認可を与え、補助金をきちっと入れて担わせる、これが一種です。 

二種は自分たちがこれを社会福祉としてやりたい、という提案型ですね。ですからボランティアセンターサンなんかが今わりとおおいですよね。いわゆる社協さんって言うのはあそこは完全に行政主導型の社会福祉法人ですね。

私たちのような二種社福は自分たちがこういう活動をやりたいので社会福祉法人として認可してくださいという形で申請します。文言とか法律の縛りは全部一種と一緒です。非常に厳しいです。でも厚生労働大臣認可にもかかわらず、国から一円の補助金も出ない。全部自分たちのミッションに共感する方たちからの浄財、チャレンジド自身が勉強するからといって払う受講料、それから企業や自治体から請け負った仕事の事務経費から成り立っています。 

きわめて厳しく、毎日が刃物の上です。来年の予算が決まっているわけではない。逆にだからこそ自分達がやろうと思うことができるんですね。 

補助金もついてこない代わりに口もついてこない、これやれあれやれではなくて、これやりますあれやりますっていう形でやれている珍しい社福ですね。 

厚生大臣認可の社福って言うのが、プロップが申請した時に、その三年ぐらい前に視覚障害者の国際交流の組織に認可しただけで、その当時NPOの流れになっていましたんでね、私たちはNPO法のできる前に第二種の社福として、思いっきり自分らのことがやれてそれがそのまま社会福祉。その代わり条件はない、

そして、厳しいけれど面白いことがやれる・・・と、こういう訳です。

 

<誇りを持てる社会へ>

松井孝治

ありがとうございました。私も最後に一言だけ。

ナミねぇがよく使う言葉に「Let's be proud」 つまり誇りを持ちましょう。

要するに今までのように誰かが施しを与える、与えられるというのではなくて、スウェーデンでは28%の税金を、「これは私の権利だ」と誇りを持って払っておられる。そして、それは28%の払った税金の使い道について、こういう風に使おうじゃないかという意思が働いているからではないかと思うんですね。 

日本の社会ではいろんな人たちの問題によってそういう誇りを納税者が持てない社会が今の現状だと思います。

我々全員がチャレンジドで、一人一人の人間が誇りを持てるような社会にしていくことが僕らの究極の使命であると考えています。

僕は今、公益法人改革というわりと地味な仕事を党の中でやらせていただいているのですが、社会福祉法人も民法34条の規定する公益法人の特別の法人なんです。世の中のいろんなものが役所の仕組みの中で所管所管があって、社会福祉法人は厚生省、学校法人は文部科学省。民法の公益法人は所管を持たないから誰も責任をとらない。

こういうことがばらばらにできているんです。これはみんな社会的な公器だと思うんですよね。

これを所管所管で切っているのは社会のおかしな流れであるわけです。我々はすぐ官僚の批判をしますが、実は官僚もその仕切りの中に押し込められている。その仕切りを縦割り、中央集権の仕切りをいかに取っ払っていくのか、僕らは偏見を含めて仕切りを取っ払っていくことが僕のライフワークの一つかなぁと感じています。そして、それは、同時に福山さん、山井さんと我々が目指している社会はそういう社会ではないかなぁと思っています。

終了

この講演記録は、松井孝治参議院議員とプロップ・ステーション竹中ナミさんのご好意により掲載させていただきました。感謝。

チャレンジドを納税者にできる日本をめざして

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イラスト・地球を抱いたやまのい和則 クリックしてホームへ