松井孝治参議院議員政策対話シリーズ 第1回 福祉編 |
「チャレンジドを納税者にできる日本を目指して」 |
プロップ・ステーション 竹中ナミねぇ講演 1 |
ゲスト講師 竹中 ナミ さん 2002年5月26日(日) |
この記録は、松井孝治参議院議員とプロップ・ステーション竹中ナミさんのご好意により、掲載させていただきました。感謝。 |
<主催者あいさつ> 松井孝治 皆さんこんにちは。 第一回の政策対話シリーズをはじめさせていただきます。 私が議席を預からせていただいてから、まもなく10カ月が経過します。この間、どうすれば府民の皆さま方により近い形で新しい政治を切り拓くことが出来るかと真剣に考えてまいりました。
政策対話シリーズは、様々な分野において、第一線でご活躍されている方々を講師にお招きし、地域の方々とともに学び、考え、議論をすることこそが、新たな政府を生み出す第一歩となるものとの思いのもと、定期的な開催を予定いたしております。 第一回目は、介護の問題、老人福祉、これは社会のあり方にも関わる問題を、その専門家の山井和則さんと、環境問題の専門家、福山哲郎さんとともに考えていきます。 そして、今日はお忙しい中、私が、役人時代から大変尊敬いたしております、竹中ナミさん、竹中ナミさんというと怒られるんです・・・「ナミねぇと呼ばんかい!」って、今日は「ナミねぇ」と呼ばせていただきます。 実は私、昨年の選挙の時からナミねぇをお呼びして討論をしたかったのです。やっと念願がかない、今日はとにかくナミねぇのお話を聞いていただきたい。 それでは、私の尊敬する神戸からお越しいただいた竹中ナミさん、肝っ玉母さん、そして、全国の知事さん、国会議員、改革派の官僚たちの姉御、ナミねぇからお話をお伺いします。 皆さんじっくりとナミねぇのお話を聞き、社会が変わろうとしているその動きを実感してください。ナミねぇよろしくお願いします。 |
(第一部) 竹中ナミねぇ講演 <はじめに> どうも皆さんこんにちは。ご紹介いただきました、ナミねぇでございます。えー、あの松井ちゃん・・・松井さん・・・松井ちゃんと呼んでいいですね。松井ちゃんとは、通産省(経済産業省)に松井ちゃんがおられた時から親しくお付き合いをさせていただいているんです。 ここ1、2年の間に、松井ちゃんをはじめ志を持った官僚の皆さんが、経済人や、政治家になられる。そうか官僚は面白くない仕事なんだなぁと感じました。でも、どこの世界にも、志のある若々しい方々が活躍してほしい。そういう思いで皆さんと親しくお付き合いをさせていただいているんです。 私、ここ宇治には初めてきまして、宇治については何もしりません。 しかし、今日は福祉のテーマです。どこの地域でも、同じ課題を抱えて同じ方向性、未来を探っていかなければいけない時期なのかなと、今日は神戸から来ました。 <チャレンジド> 会場の皆さん、「チャレンジド」という言葉をご存知の方、・・・あぁ、かなりいらっしゃいますね。はい、ありがとうございます。では、「それなんや?聞いたことないで!」という方は・・・八割五分ぐらいの方が聞いたことがない、今日のテーマ、「チャレンジドを納税者にできる日本」のチャレンジド、 まずこの言葉から説明させていただきます。 英語では、障害を持つ人のことをハンディキャップ、ディスアビリティー、あるいはディスエイブルパーソン、と呼んでいました。その言葉では障害のマイナスのところにばかり注目しすぎているので、最近・・・といってもここ10年前から、アメリカで使われだした言葉が「ザ・チャレンジド」なんですね。チャレンジャーではなくてチャレンジド、チャレンジの後ろにedがついて受身になっているんです。 挑戦者ではなくて挑戦される人、挑戦を与えられた人。これは、神から挑戦という使命・課題、あるいはチャンスを与えられたという意味です。日本の障害者に比べてポジティブな言葉です。 <差し障って害な人間?> 日本の障害者という言葉は障害を持つ人自身も、社会も、あるいは法律も「障害者」と使われているんです。この言葉をちょっと分解して読んでみると、差し障り、差し障る、そして害なんですね。で、そこに子供なら児、大人なら者とつきます。 どう考えても、ポジティブなイメージがまったくないんですよね。私は人間のひとつの状態を、マイナスの言葉を並べて、書ききっていいのか、呼びきっていいのかと長年感じてきました。 <娘はいつまでも赤ちゃん> 何で長年感じてきたのか、うちの娘は・・・30年前に授かった娘、長女のマキと言います。彼女が重症心身障害児として生まれてきたんですね。私はその時から障害児、障害者という言葉と、そして、障害を持った方々とのお付き合いがこの30年続いているんです。 うちの娘の視力は、明るい暗いだけしか感じないんですね。皆さん軽く目を閉じて、顔の前を手を横切らせてください・・・。なんか影が通るの見えますよね。光覚といいます。この光覚だけがかろうじて残っていて、物の形が見えない状態、残念ながらこの美しいおかあちゃんの顔が(^^)見られない・・・のです。 音は聞こえているようです。音楽がなると喜んだりはするのですが、残念ながらそれが、かぁちゃんが「おい、マキ!」と呼んでいる声なのか、自動車がブブーと走った音なのか、テレビのコマーシャルなのかぜんぜん分からない状態ですね。 声は出すんですが、赤ちゃんが難語ってしゃべりますよね。むにゅむにゅと、そこのまだ手前の状態です。 人間は生まれて最初に快と不快に感情が分かれるんです。それから喜怒哀楽といろんな感情をもっていく、彼女は、その快と不快しかわからない状態です。 あとは、もちろん身体の不自由さ。手はついているのですがなんのために手があるのか分からない。自分の手で食べる、持つ、置く、スイッチを押すとかが分からない。残念ながらこの手と社会との関係性が分かっていない状態。 体のほうはおかげさまでむくむくと成長し、手を引くと歩けます。 その上で精神障害や、酵素異常などいろいろなものがある。 「障害のデパート」みたいにいろいろ持って生まれてきたわけです。 <ワシはこの孫を連れて死ぬ!> 彼女が生後3ヶ月ごろに、大変重い脳障害であることがわかりました。 その脳障害が分かった時に、私の父親が「ワシがこの孫を連れて死んでやる」と私に言ったんですよ。 マキには上に健常の兄ちゃん、障害を持たない兄がおり、私はその子の育児の経験しかなかったんです。マキは、自分でおっぱいもよう吸わへんし、おっぱいを湯煎してスポイトに入れて口に入れないと飲めない。 確かに兄とはぜんぜん違うんだけれど、「死ぬ」と父ちゃんが言ったのには、ごっついびっくりしたんですよ。 「何でやねん」と聞くと、「この子がいるとお前が必ず不幸になる。お前が必ず苦労をする。だからワシにとっては忍びないことだから連れて死ぬ」と父は言いました。 私は父が戦争から戻ってから生まれた子供で、目の中にいれても痛くないぐらいに可愛がってくれました。私を背負って軍歌を子守唄にして育ててくれた父でした。 ですから、私と娘とが不幸になったり、楽しそうにしていなかったりすると、父はふびんだから娘を連れて死ぬんだと。ということはその時同時に私は父と娘とを失う。それは自分としては、本当にさせてはならんことやと覚悟を決めました。 <マキと楽しく暮らす方法> 私はマキと楽しく暮らしたい。彼女にこういうことをしてやれば彼女は喜ぶということを私が見つけて育てていくしかないだろうと、彼女と私との付き合い・出会い、が始まったのです。 ところが、治療をしたり、手術で治せる場合にだけ、病院では、患者として医療の対象になるのです。 しかしそうではなく、障害を持ったということは、お医者さん、医療の専門家ではこの子を幸せにすることはできないんだなぁ、とわかったのです。 <見えない人から見えないことを教えてもらおう!> 一体どうしたらいいんだろう。 30年前にもいろんな有名な育児書がありました。スポック博士の育児書、松田道雄さんの育児書とか、私世代の方はご存知、二大バイブルといわれておりましたけれども、この育児書の中にも一行たりとも 「もし、あなたの子供が障害を持って生まれてきた場合にはこうしたらいいよ」 とは書いていないんです。 ということは、私はマキを育てるマニュアルも育児書も自分で作らないといけない。 しかも楽しく生きていくマニュアルを作らないかん・・・。 「うーんどうしたらいいのかなぁ」。 考えているうちに 「マキは目が見えない、見えないということは、見えない人から教わろう!」と気がついたんです。見えない人と付き合うと、目の見えないことで何が不便、何が困るかが分かる。でも、目は見えないけれど、こういうことで楽しんでいるとか、こういうことが出来るんだよということを教えてもらえる。 聞こえない、あるいはしゃべられない、だとしたら聞こえない、しゃべられない人と付き合ったらいい。聞こえない、しゃべられないことは何が不便、何が困る、だけどどうやって生活している、何ができるか。 動けないとしたら、今、動けない人、移動困難な人とお付き合いして、あなたは動けないけれど動けないままでいいのか、動きたいとしたら、どんな風にしたら自分が動けるようになると思うのか。 社会も道具立ても、その当事者の人からそういうことを教わればいいやと、ビジネスモデルのように発見したわけです。 それからは、自分の娘があらゆる障害を持っていましたから、視力、聴力、言語の障害の方、身体、知的、精神と、ありとあらゆる方とのお付き合を始めたんです。 <重度の障害を持っている人は少ない> 娘マキは現在30歳ですが、私をおかあちゃんと認識していないのです。高齢者の方で言うと大変重い痴呆症状のような、家族すら判別できない症状の人は、障害者と言われている人の中ではごく少数だということが、色々な人とお付き合いをしてわかったんです。 <能力が生かされていない> それ以外の人は(見えない人、聞こえない人、しゃべられない人、知的ハンデの人であれ)、何らかの自分なりの思い、意欲、もちろん不平不満はありますけれど、自分なりに出来ることをいろいろ持っておられることがわかりました。 だとすると、日本の福祉が障害を持つ人を「障害者」と区別し、その気の毒な人には「何かをしてあげる」と規定していることは、実はその人の中に眠っている能力を社会に引きだしていない、プラスのところではなく、マイナスのところを数え出しそれを埋めているのが福祉、この福祉の構造はとても勿体無いことをしているんだと気づきました。 障害を持っていても、私にこんなにたくさんのことを教えてくれた、その能力が社会に生かされていないと感じたわけです。 <言葉が悪い> その時に、障害者という言葉にも疑問を感じました。この言葉がマイナス部分しか見ていない。私なりに「なんかいい言葉ないかなぁ」と思っていた時に、「チャレンジド」という言葉に出会いました。この言葉に出会ったのはそんなに昔のことではないんです。 私の実家は神戸で、阪神淡路大震災にあい、みんな丸焼け、仲間もみんな被災者になる経験をいたしました。その時に、アメリカでは最近障害者を「ザ・チャレンジド」と呼んでいる。ハンディキャップ、ディスアビリティーという言葉が、その人のマイナスばかりをみているので、変えていこうとしていると、教わったわけです。 <みんなチャレンジド> その言葉の中には、 「人間には生まれながらに課題と向き合う力が備わっている、全ての人に備わっている。課題が大きければその力もたくさん備わっているよ。たくさん力が与えられているんだよ」と、アメリカの支援者の方から教わったのです。 しかもアメリカではこの言葉は決して日本のように障害者のためにだけ使われる言葉ではなくて、「震災復興に立ち向かう人はチャレンジドだ」という使い方もする、決して限定的な使い方をするものではないのです。 「あぁそしたら私もチャレンジドの母ちゃんであると同時に、私自身もチャレンジドやでぇ、この言葉は、すごい!!」と思ったわけです。 <意識改革を!> 言葉は文化・思想・哲学であると知ったんです。 国にそういう文化がなければ言葉は生まれない。 つまり障害を持った人をマイナスとしか捉えようのない文化、社会の哲学がその障害者という言葉だけを流通させている。 私は英語、横文字を使いたいわけではないのだけれども「チャレンジド」という言葉を積極的に使っていくことで、社会の意識も変わっていくのではないかと思いました。 マイナスを埋め合わせるのではなくて、人間の中に眠っている力を全部引き出せる国にしよう!みんなで支えあえる国にしよう! という考え方に、もしかしたら自分たち自身で変えられるかもわからないなぁと感じました。 「プロップ・ステーション」のプロップは、英語で「支えあう」です。これはラグビーのポジションでもあります。プロップ・ステーションは「草の根のボランティアグループ」としてスタートしたのです。 <動ける指先でマンション経営> 仲間でコンピュータの得意なラグビー青年がいまして、そのポジションがプロップだったんですね。ところが試合中に首を骨折して、全身麻痺になり、かろうじて左手指先だけが少し動く。 青年の実家が植木屋さんとマンション管理をしている、しかもご長男だったんですね。 普通、全身麻痺になって左手の指先だけしか動かないとなると、父ちゃん母ちゃんはどう言うか、 「お前は無理せんでぇぇ、父ちゃん母ちゃんが守ったる」 とかいうのですが、そこの父ちゃん母ちゃんは、なんと、 「お前ここの長男なんやから、家を継いで働らかなあかん」と。 で、彼はこの左手の指先と、残された脳みそで何ができるかを考えた。「植木屋は無理や、石を運ばなあかんし、植木を掘って動かさなあかんし、マンション経営ならやれる」、とマンションの管理室を電脳化して、電動車椅子を指先一つで移動させ、ボタンを押してドアが開くと、自分専用のパソコンがあり、動く指先で、何号室には誰が入っている、何号室は家賃入れてくれはった、何号室は夜逃げした(笑)と、自分でデーターベースを作った。 しかもマンションをお掃除してくれる人も雇わなければいけない、税金の計算もしなくてはならない、そういうことも彼は左手の指先一本で、パソコンを操ってマンションの経営を始めたわけです。 <日本を変えられる!> で、私はこの経験から、 ・本人に目的意識がある。 ・家族が期待すること、 ・道具立てが揃っていること、揃えること ・そして最終的には社会全体の意識、 こういうものがちょっとずつ変わっていけば、私が考えているマイナスだけを数えるのではない、プラスを引き出す日本になるかもしれないな。 で、道具立てはとても重要なことだなと思いました。なぜなら彼は指先でコンピュータを使うことによって仕事を成り立たせている。いくら意欲があっても、コンピュータがなければ彼は仕事人にはなれない。 私たちが活動を始めたころはまだコンピュータとパソコン通信が日本に上陸したばかりでしたが、コンピュータとコンピュータ通信を使ってチャレンジドが社会を支える側に回れるようになろうと、目標を持ってプロップを立ち上げました。 <みんなで誇りを持って!> ただ支える側という言葉ではインパクト薄いなぁ、何かないかなぁと考えていて・・・「納税者にできる」という過激なキャッチフレーズを考えました。なんちゅう下品なキャッチフレーズなんですか、とよく言われましたが・・・。 皆さんご存知のように社会のインフラはみんな税で整備されているんですよね。 ということは、自分が納税者、タックスペイヤーになることは、「社会を構成する誇りある一員」となることです。 と同時に、税を払うことは日本の国の株主になるってことでしょう? 地域が、国が、この場所が、自分が出した税でこうなっているということを見つめて発言をしていくことなんですよね。 つまり私たちが納税者という言葉に込めた思いは「誇り」です。 人間としての誇りを取り戻していこう、人から何かしてもらうところに置かれてしまっていることに甘んじるのではなくて、自ら何かをなしていこうという気概を持って。 しかも、一人では弱いですから、そういう気概を持った人が、いろんな分野から集まって、力をあわせて、しかもコンピュータのような道具を使って、自らが社会を変えていこうという一人になろうというわけで、私たちの活動は始まったわけです。 とはいえ、障害の重い人がいったいどうやってコンピュータを使ってどんなことするのと、なかなか想像つきにくいと思います。 ここでビデオを見ていただきたいと思います。プロップは1991年に草の根のグループで出発をして98年には日本唯一ITで活用する社会福祉法人で大臣認可を戴いているのです。 このビデオではその大臣認可いただいた直後に「筑紫哲也さんのニュース23対論」で登場した時のものです。 今ではこのビデオに出てくるよりも、もっと多くの方が、コンピュータを使って自宅から、施設や病院のベッドの上でお仕事をしていただいていることを言い添えまして、ビデオを見ていただきたいと思います。 講演続く No.2 |
【社会的に目覚しい活動をしている女性に毎年送られるエイボン賞。今年その教育賞に選ばれたのは障害者をチャレンジドと呼び支援活動を続けている、神戸の竹中ナミさん。中卒でバツイチで障害児の母ちゃんでそこに年齢と体重のハンデを加えれば五重苦だというナミねぇは、持ち前のパワーで障害者の社会参加を進めてきた。】 【ナミねぇの戦略は明快だ。障害者の中には障害がどんなに重くても、パソコンが使えれば自分を表現し、仕事をできるようになる人がいる。それなら彼らチャレンジドのためにパソコン教室を開こう。そして仕事を覚えてもらい障害があっても働きたい人が働ける社会を作ろうという、障害者の就労を支援する運動の先頭に立ってきた。】 【今夜は竹中ナミさんと筑紫さんの対談です。 竹中さんは8年前に大阪でプロップ・ステーションというNPOを創り、チャレンジドを納税者にというスローガンを掲げました。その型破りの発想と産官民を巻き込んだ運動が福祉の世界に新しい流れを生み出しています。】 筑紫:障害者を納税者にしようというのがテーマですよね。どの段階まで行きましたか? 竹中:多くの方が、仕事が無理という社会通念の中で、まだ仕事をできる状態になっていない。企業もそういう方の中に働く力が眠っているということに気づいていない。そのような中で、プロップ・ステーションは9年目を迎えますが、コンピュータを使って自己表現の中での仕事、自己実現に向けての仕事に向かう人が全国に生まれています。このような活動への理解も高まっています。あと数年で介護やサポートを受けながらも社会参加をしようという流れになっているんだと思うんですけどね。 筑紫:具体的に、納税者になった人が何人という数で言うと・・・。 竹中:単発のお仕事をいただいている状態で、納税となるとコンスタントなお仕事になりますから、今ちょうど、そのコンスタントになる直前の段階です。 筑紫:本人たちは人に何かしてもらうというだけではなくて、自分たちから何かがしたいという気持ちが強い? 竹中:はい、そう思いますね。何か社会からしてもらっているっていうだけというのは、社会にしてもらって当たり前というふうまでなってしまえば別ですけれど、何か社会に返すことで自分自身の誇りになるんですよね。プロップ自身は納税者にという手も納税運動をしているわけではなくて、誇りを取り戻そうということが一番なんです。 【誇りを取り戻すために働きたいという障害者は少なくない。彼らが頼りとしたのはパソコンだった。自分でパソコンを買い、授業料を払ってプロップの講習会にやってくる。ナミねぇがしたのはパソコンをばら撒くことではなかった。】 筑紫:竹中さんがやられていることは非常にきついのではないか?つまり、ケアされる側にずっといる気になれば居れるわけで、そこにハードルを置いている。 竹中:おっしゃった通りでね、別にチャレンジドだからといって無理に働くわけでもなく、守られるだけでいたいというわけでもない。一般社会と違うルールみたいなものがあって、自分が働こうと思っても勉強する場所がない、技術を磨く場所がない、チャンスがない・・・という状況で、あなたはここの代表よという風に世の中から認められたり、自分たちで納得できたりする場所までの溝が大きいと思うんです。つまりまぁチャンスの平等が今の価値観が抜けている。納税者という言葉を使っているので偉いきついこと言うてるなぁと、イランお世話やと思われている方はいらっしゃると思います。 【プロップのしていることは一つの選択肢を示すことだった。チャレンジドを納税者にというプロップの運動に新しい可能性を見出す人は増えている。今の世の中これでいいのか問う思いを、この世の中どうにかしようというナミねぇのエネルギーが結び付けている。】 竹中:今、世の中も変わらざるを得ないところにきている。そういう意味では各環境の方がそれぞれの分野で自分なりに変えたいという気持ちを持っておられるということをお会いするとひしひしと感じます。だから、変えたいと思っていないひとはナミねぇと会っても、びんびん来ない。変えたいと思っている人はどんな仕事の人であれ、変えなきゃ。変えようと意気投合するんです。変えたい人が同じ夢を見る。 筑紫:そういう人たちは増えてますか?官僚も含めて多いですか? 竹中:そう思いますね。世の中が暗いから逆に、変えようってね。 【ナミねぇと出会うことでチャレンジドは変わっていく。彼らが変わることによって、世の中も変わっていく】 筑紫:男が元気はないって言いますね。女性から元気になっている。竹中さんは目立つ存在ですが。 竹中:自分のことでいうと、既存の社会のレールに自分自身乗れないでこれまで来たんです。自分の娘が重症心身障害で生まれて、本当に彼女は社会のレールにまったく乗れないですから、私もそのレールには乗らないでいい。そういう意味では、既存のレールに乗らないできた女性が元気って言うことは、そういうことなのかもしれない。 竹中:男性たちが女性の感性を取り入れる、女性もまた・・・っていう交互のやり取りの中でやっていったらいいんではないですかね。だって考えてみたら、一昔前だったら女が活動の中心になって世の中に叫ぶことは石が飛んでくることだったじゃないですか。今の時代むっちゃおもろいですね。今、価値観がガラガラ崩れてますやんか。大歓迎ですよ。崩れてるから何でもあり、これまでのレールにこだわらんと、いろんなやり方ができる。安定した世の中ではナミねぇは要りませんよね。 筑紫:ファンクラブに近い人が彼女の周りにはたくさんいます。エネルギーが彼女にあるというけれど、時代でしょうね。今までだったら異端だと思われていた人のほうが元気がいい。今までからみると新しいことやっているわけですから、厳しさもあって、これまでの恩恵として彼らを支えていこうというというものとちょっと違って、例えば授業料は取るは、パソコンもただではない。自分で努力しなさいという感じですからね。自然に飛び出していますよね。 (ビデオ終了) |
チャレンジドを納税者にできる日本を目指して(竹中ナミねぇ講演) No.1 No.2 No.3(ディスカッション) |