スウェーデン視察記 No.3 |
さて、痴呆性高齢者ケアの切り札であるグループホーム訪問の続きを書きます。 8月29日火曜日の午後は、「ノーレリュード」グループホームを訪問。ここは1996年に完成したかなり新しいグループホーム。 8人入居のグループホームが4つくっついている。一階には近所の方も集れるレストランや地域看護婦の詰め所がある。 ここを訪問すると、地元のスモーランドポストンという新聞社が私の取材に来た。 85歳になるエバさんと手をつないで散歩し、居室も拝見させてもらった。雰囲気はダルボと似ている。 車椅子の方が二名。一緒におやつを食べている入居者とお年寄りもいる。 入居者の横に寄り添い、おしゃべりをしながらおやつを一緒に食べるスタッフ。その笑顔が印象的。この方は40〜50歳のケアスタッフ。やはり、若いスタッフより、中年のスタッフのほうが、お年寄りと親しみがあるようだ。 グループホームは小規模であるがゆえに、スタッフの質が非常に重要だ。 さて、新聞記者から私が逆取材(昔、べクショーで学んだ日本の国会議員がスウェーデンのグループホームを視察に来た)を受けているとき、「ドスン!」と大きな音がした。 車椅子に座っていたおじいさんが、立ち上がろうとして、左に大きく倒れたのだ。早速、職員がかけより、私の取材どころではなくなった。 おじいさんは額から少し血を流している。これは大変なことになった。 そう思っていると3分くらいで地域看護婦が登場して、手当てをした。よくやくグループホームが落ち着きを取り戻した。 やはり、地域看護婦の詰め所が併設されているので、すぐに来れるのだ。 「日本ではいま、痴呆性高齢者の身体拘束が問題になっている。 今のおじいさんの場合、車椅子に安全のために縛るということはしないのか」と尋ねた。 スタッフのアンキーさんは、「それはしない。縛ることは人権をふみにじる行為だ。縛らなかったために骨折するリスクよりも、縛った結果ますます弱るリスクのほうが大きい。そもそも生きること自体が危険なことなのです」と言った。 さらに、「もし縛らなくてお年寄りが骨折した場合、家族は管 理不行き届きとして、グループホームを訴えないか」と聞いた。 「多くの場合、そんなことはない。家族は縛らない理由を納得してくれている。しかし、過去べクショーのグループホームで何回かあった骨折事故で一度だけ家族に訴えられたことがある」とアンキーさんは言った。 実際、スウェーデンの統計でも、従来の療養病棟や老人ホームよりもグループホームは骨折の頻度が高いことがわかっている。 この点についてアンキーさんは、「だからと言って、痴呆性高齢者を動かさないようにしたら、ますます弱るのは目に見えてるわ。骨折を恐れるなら、縛るか、寝かすか、動かさないかしかないのよ。でも、それではグループホームの意味がないでしょ」とアンキーさん。 夜勤スタッフは一人だが、二人必要なときもあるという。しかし、日本のグループホームではまだ夜勤は認められず、厚生省は宿直で対応すべきと言っている。 痴呆性高齢者は晩、歩き回ったり、トイレに行ったり、寝れなかったりするのに、そんな無茶なという憤りを感じる。 このグループホームの訪問のあと、べクショーで私が長らくホームステイをさせてもらっていた、私のスウェーデンでの母親「ブラウア―英子さん」のお墓参りに行った。 さて、翌日8月30日は、朝6:15でストックホルムに飛行機で移動。飛行機の中で隣の男性が、「スモーランドポストン紙にあなたのグループホーム訪問の記事が写真入で出ているよ」と見せてくれた。 ストックホルムでは、正午からストックホルム郊外にあるグループホーム「ストランドベーゲン」を訪問。 ここにもスウェーデンラジオの取材が来て、私のグループホーム訪問を密着取材した。 ここの訪問をセットしてくれたのはストックホルム在住20年で通訳として活躍している三浦哲治さん。 ここは、昔老人ホームだったところを8人と9人のグループホームに1990年に改築したもの。湖のほとりののどかな住宅街にある単独型ユニット型グループホームと言えよう。 看護婦のエリザベスさんが説明してくれた。 「老人ホームは痴呆がなく、身体が不自由なお年寄り対象。グループホームは痴呆性高齢者だけを対象としている。 痴呆性高齢者には小規模でゆったりとした時間の流れの家庭的な雰囲気が必要。ここでは、慌しく走って介護をしてはダメ。お年寄りが不安になるから」とのこと。 さらに、私が、「日本では今、約500ヶ所。来年もグループホームを500ヶ所増やす計画」と言うと、「グループホームを増やすと言っても、介護の人材はそんなにいるのか。特にグループホームでは介護職員の質が重要だ。ここのスタッフもみんな痴呆ケアの専門研究を受けている」と言った。 また、湖が徒歩5分のところにあるので、しばしば湖に散歩にお年寄りとスタッフは出かけるという。 なお、このグループホーム「ストランドゴーデン」やスウェーデンのグループホームの最新情報は、「グループホーム読本ー痴呆性高齢者ケアの切り札」(外山義著、ミネルヴァ書房)に書かれている。 この日の午後は国旗議事堂を訪問し、昔から世話になっている国会議員カーリン・ウゲストールさんに再会。 年金問題に強い議員だ。そこで考えさせられたのは、スウェーデンの国会議員には議員5人に秘書が一人しかいないこと。 また、日本の厚生大臣のように平均10ヶ月でころころ変わる(1987年から2000年までに15人も交代)のではなく、スウェーデンでは平均4年、つまり、大きな失敗でもない限り、選挙と選挙の間の4年間は一人の同じ大臣だ。 「日本では大臣がそんなに変わって、腰を落ち着けて改革ができるの」とカーリンさんに言われた。 さらに、日本の歴代の厚生大臣を思い出し、 「スウェーデンでは、特に福祉に関心のない人でも厚生大臣になる場合があるか」と聞くと、一瞬、唖然としたあと、「そんな人が厚生大臣になるはずがないでしょ。日本ではころころ変わるから、誰が大臣になってもいいと考えるのでしょう。スウェーデンのようにこの人が4年やる、ということにすれば、福祉に強い人しか厚生大臣にはなりません」とカーリンさん。 また、カーリンさんにスウェーデンの国会の厚生委員会を見せてもらった。「ほらOHPがあるでしょ」とのこと。というのは、私が先日の日本の厚生委員会でスライドを使用したのが、国会の歴史上初めてという話をカーリンさんに話していたからだ。 その晩は、私のスウェーデンの福祉の師匠である奥村芳孝さんと藤倉カールソン篤子さんと夕食。 スウェーデンの最新事情を「日本語」で聞いた。日本語なのでほっとした。 8月31日は朝、ケア付き住宅とグループホームを10時から12時まで訪問。 しかし、訪問料が3000クローナ。日本円で33,000円。 半分が視察を仲介したストックホルム市がとり、残り半分はグループホームに行く。 ストックホルムではあまりにも日本人の視察が多いので、訪問受け入れ料をとることになったのだ。これに本当なら通訳料が入る。そうすると、1つのグループホームを訪問するのに5万円くらいになるかもしれない。 このグループホームはケア付き住宅に併設し、8人のグループホームが4つくっついている。4つのうちの1つは痴呆ではない身体障害の高齢者のグループホームだ。 グループホームは平均1年くらい待たないと入れない。 待っている間に重度化してしまう痴呆性高齢者が多いのが悩みの種だという。 「なぜ、グループホームは、痴呆性高齢者だけにスウェーデンでは限るのか」とスタッフに尋ねると、「痴呆でない高齢者が混ざるとその高齢者が居心地悪く感じる。 さらに、小規模で家庭的なグループホームは、より痴呆症のお年寄りへの効果が大きいのだから、限られた数のグループホームは痴呆性高齢者が優先的に利用することになる」という答えであった。 さすが3000クローナ払っただけのことがあって、今までの3箇所のグループホームよりもホーム長が同行して懇切丁寧に説明してくれ、スウェーデンの資料までもらえた。 おまけに昼食もおごってもらった。グループホームでもお年寄りの部屋や、お年寄りとの記念写真も、本人の了解を得て撮らせてもらった。後日、ホームページに載せます。 以上述べたように、スウェーデンでは「痴呆性高齢者にはグループホームがよい。大きな老人ホームの場合は、中を7〜9人のユニットに区切るのがよい」というのが常識になっている。 小規模で家庭的な環境でないと落ち着かないのだ。 話は少し飛ぶが、先日、鳩山由紀夫さんを日本のある老人ホームに案内した。私が鳩山さんに案内しながら居室の横を通りかかると、なんと一人のおばあさんが、四人部屋でポータブルトイレに座り、用を足しているところであった。 私は頭を抱えたくなった。このプライバシーのなさ。いつまで経てば、日本の老人ホームは個室になり、お年寄りが人に隠れて用を足すことができるのか。 同行した厚生省の方に私は言った。 「厚生省はいつまでこのような惨状を放置するのですか。 21世紀にも四人部屋でポータブルトイレを多用する老人ホームを新築するのですか。私は世界の老人ホームをまわっていますが、先進国で日本だけですよ。こんなプライバシーの守れない老人ホームを新築しているのは」と。 厚生省の方も頭をかいておられた。 実際、スウェーデンで読んだ日本の新聞に、来年度の厚生省の予算要求が出ていた。 ITと高齢化に重点投資するということで、厚生省も特別養護老人ホーム1万人分、老人保健施設7000人分を予算要求している。 しかし、21世紀になっても従来型の老人ホームを新築するのか。個室でユニットにわかれている「すまい型老人ホーム」にすべきた。(「すまい型」だからお年寄りに「スマイ(すまい)ル」が出る。これは「しゃれ」である。) 私は、政治家として、新設の老人ホームのユニット化を強く求めていきたい。 ちなみに、その老人ホームのあと、私と鳩山さんはある宅老所 を訪問した。 そこは、5人のお年寄りが二階建ての民家に住み、老人保健施設の画一的な介護に、嫌気がさして辞めた二人の女性が泊り込みでお世話している。 1階に四畳半が1つ。二階に4畳半が1つと六畳と三畳。 行政からの補助は一切でず、自己負担は月16万。 そのアットホームさは、さきほど訪問した老人ホームとは大違い。鳩山さんは言う。 「あの居心地の悪い老人ホームに一人当たり介護保険から月30万以上の介護報酬が出るのに、この居心地のよい宅老所に一銭も出ないのはおかしい。民主党は宅老所にお金が出るように制度的に支援する」と。 私たちが訪問した宅老所は、民家改造型のために、グループホームの「一人四畳半以上」という条件や、耐火構造という条件も満たさない。 しかし、私は思う。これでは民家改造型ではほとんどグループホームにならない。だから、民家改造型デイ、民家改造型グループホームという形で条件を緩和し、いま日本全国に広がりつつある宅老所に介護保険からお金を出すべきだ。 そうすれば、大規模施設よりも居心地がよい居場所が、住み慣れた地域に、安くできる。 全国のうねりとなりつつある宅老所に、介護保険から補助が少ない、あるいは出ないのでは、何のための介護保険かということになる。 余談になるが、帰り際に鳩山さんに拙著「グループホーム入門」(リヨン社)をプレゼントした。グループホームや宅老所について写真入で実例が書いてあるからだ。 しかし、私は渡した瞬間「しまった!」と思った。この本は私と鳩山邦夫さんとの共著であった。 鳩山由紀夫さんは「そう言えば、弟の邦夫もグループホームって都知事選挙の時に言ってたんだよなあ」と言った。それ以上、会話はなかった。私はまずい本を出したと思った。 話はスウェーデンに戻る。 8月31日の午後は、痴呆協会を訪問。会長のスティーナさんは、初対面。 しかし、私が日本の「呆け老人をかかえる家族の会」の10年来の会員であることや、代表の高見国夫さんを知っていること、スウェーデンのグループホームケアのバイブルと言われるバルブロ・ベック・フリス先生の「バルツァゴーデンの家」を翻訳したことなどを言うと、一気に仲良くなり意気投合した。 私は、いいカッコをして、「日本の歴史上、もっとも痴呆問題に入れている国会議員が私だ」などと大きな自己紹介をした。 スティーナさんも「スウェーデンの国会議員も痴呆問題に関心が低く困っている」と言った。痴呆協会は110の支部、約11000人の会員がいて、痴呆に関する啓蒙活動をしている。 10月5日には国会の中の会議室で、「痴呆シンポジウム」をするという。「あなたも日本から勉強に来なさい」と誘われたが、「私は同じような取り組みを日本でします」と答えた。 「痴呆症のお年寄りは好き好んで痴呆になったわけではない。しかも、自分で自分をどう守ることも意思表示することもできない。だからこそ、私たちが代わって声をあげて、痴呆症のお年寄りを守らねばならないのです」と熱っぽく訴える彼女に私はうなずいた。 「痴ほう対策を進めるには、政治家を動かさねばなりません。 しかし、その政治家が痴呆問題に無理解なのです。ところで、あなたも政治家でしたか?」と笑うスティーナ会長に私は、「私は例外の政治家です」と笑顔で答えた。 痴呆協会は1党一派には偏らない。しかし、政治には積極的にはたらきかける。選挙の時には、各政党に痴呆対策の公開質問状を出し、その返事を公開している。 スウェーデンに行き、日本の福祉をもっと早急に良くせねばならないと痛感した。しかし、私も政治家である以上、福祉だけをやっているわけにはいかない。地元である京都南部のためにも貢献せねばならない。 また、帰国すると二日に一度は東京に行く生活が始まる。知り合いの医師は、「睡眠、運動、栄養」が健康の元と教えて下さったので守りたい。 また、今回はメールマガジンとして大ざっぱに書いたので、より詳しいレポートは後日、写真付きでホームページに公開します。 さて、この長い長いメールマガジンも終わりに近づいたが、最後に、今回のスウェーデンの旅を締めくくるには、改めてお墓参りに行ったブラウア―英子さんのことに触れねばならない。 さて、私と英子さんとの出会いは、1990年にさかのぼる。 英子さんはスウェーデンのべクショー市在住29年で、二人のお子さんがおられた。ピアさんとハンシー君だ。 私は1989年に初めてスウェーデンに2ヶ月滞在し、ケア付き住宅で実習させてもらった。その後、1990年にスウェーデンのグループホームを初めて訪問し、その素晴らしさに感動し、「日本の痴呆ケアにはこのグループホームが必要だ」と確信した。 その際に、私をホームステイさせて下さり、グループホームの見学をアレンジしたり、グループホームについての記事を翻訳して下さり、その後の私のスウェーデン留学のお膳立てをして下さったのが、英子さん(当時59歳)だった。 この英子さんの家で私は1991年に出版した「体験ルポ 世界の高齢者福祉」(岩波新書)も書きあげた。 日本の老人病院のベッドに縛られた痴呆性高齢者の写真を、英子さんに見せながら、「日本にグループホームが必要だ」と、1990年以来ずっと言いつづけてきた。 毎年のようにスウェーデンを訪れるたびに、「今年こそ日本にグループホームはできたの?」と英子さんは聞いてきた。 「今はまだない。時間はかかるけど、必ず日本でグループホームが広がるように仲間と共に私も頑張るから」と、私は英子さんに言いつづけた。 1993年ごろ日本に痴呆性高齢者向けグループホームの第一号がスタートした。その年が英子さんにスウェーデンで会う最後だった。 その後、私は本気でグループホームを普及させるべく1995年に政治活動に入った。しかし、残念ながら、英子さんは1996年にすいぞうガンで病床に伏した。そして、4年前の私の前回の衆議院選挙の前に65歳で亡くなった。私は選挙があり、べクショーにはお墓参りに行けなかった。 選挙後も、次の選挙に向かって日々運動する私は、スウェーデンにお墓参りに行くことはできなかった。 そんな時、NHKの列島福祉リポートという番組で私がグループホームのレポートをすることになった。日本にいる英子さんの妹さんに、そのことを話すと、なんと妹さんは、英子さんの遺影を抱いて私の番組を見てくださったという。
スウェーデンの大学に留学する、多くの日本人学生が英子さんの家にホームステイし、日本食を食べさせてもらい、また、スウェーデンの福祉のことなどを教わった。 |