スウェーデン視察記 No.1

   スウェーデンからメールマガジンを発行するつもりが、私のパソコンではうまく国際メールが送れず、断念しました。設定の仕方がわからなかったのです。申し訳ありません。


 今は、帰りの飛行機の上。日本時間で9月1日(金)晩の10時43分。3時間ほど前にウイーンを飛び立ち、いまはモスクワの上空。現地時間は午後3時40分です。機内食を食べながら、このメールを書いています。

 スウェーデンの政治・経済、スウェーデンの高齢者福祉、スウェーデンのグループホームの最新情報をお届けします。


 4日間のスウェーデン滞在調査で、書きたいことは山ほどありますので、すべてメールマガジンでは書ききれないので、何回かに分けるか、一部はホームページに載せるかになると思いますが、とにかく、書き始めます。

 幸運にも私が座っているエコノミークラスのオーストリア航空の隣の席は空席なので、気にせずパソコンを打てます。

 帰路は、ストックホルムを朝の10時40分に出て、ウイーンで乗り換え、関西空港へ。合計14時間。往復で14万円です。

 妻はあと1週間スウェーデンに残り、高齢者福祉や地方自治痴呆、オンブズマンなどを調査。

 私は予定が9月2日の朝から入っているのでスウェーデンに4日間滞在で帰国です。


 日本に着くまであと9時間。
バッテリーがある限り、パソコンを打ちつづけます。このパソコン本体で1時間。外付けのバッテリーでさらに3時間。合計4時間ほど打てると思います。
 眠るためにワインを飲みながらなので、大雑把な内容になることをお許しください。


 さて、7年ぶりのスウェーデン訪問は、正味4日間。非常に有意義でした。

 私が、国会議員になって初めての、海外調査であり、妻と二人で全額自己負担。もとを正せば、歳費という国から私が毎月もらっているお金の一部で、調査に行かせてもらうのですから、「しっかり勉強せねば申し訳ない」との気持ちが強い調査でした。


 さらに、あとで詳しく触れますが、痴呆性高齢者向けグループホームを初めとした、「スウェーデンの高齢者福祉」視察が大きな目的でした。

 最大の目的は、私の一番の恩人であるブラウアー英子さんのお墓参りでもありました。

 私と妻がスウェーデンのべクショー市でのホームステイを初め、過去10年、本当にお世話になった英子さん(当時65歳)が4年前に、すい臓ガンで亡くなられました。
 その頃は、前回の選挙の前であり、スウェーデンに駆けつけることもできず、今回、当選してやっとお墓参りに行けました。


 今回の滞在のスケジュールは、8月27日(日)の朝11時に関西空港を飛び立って、
27日の晩9時に、デンマークの首都コペンハーゲンに到着。
そこからスウェーデンのマルメに汽車で移動。夜はスウェーデン南部の都市、ルンド泊。


 8月28日(月)は、朝から私の母校、ルンド大学の社会学部を訪問。指導教官であったペールグンナル教授にはお会いできませんでしたが、秘書のボーフリアさんと再会。
 
 昼食は「スウェーデンの地方自治」の著者であり、「スウェーデンの地方分権の父」とも言われるルンド大学政治学部のアグネ・グスタフソン教授の家でご馳走になりました。
 そして、スウェーデンの現状の話を聞きました。アグネ先生は私の妻の指導教官でした。
 午後は、7年前に住んでいた家を訪問。隣の家のおばあさんと7年ぶりの再会。ご夫妻ともかなり年をとっておられましたが、健在で安心。

 私はルンド大学で1年半、高齢者福祉を研究しました。
その前の半年は、べクショー市のシグフリッド国民高等学校で、イラクやソマリア、カンボジアからの政治難民とともに全寮生活をしながら、スウェーデン語の勉強をしていました。

 8月28日の晩はべクショーに列車で移動し、べクショー大学経済学部教授、鈴木満先生のお宅で、夕食をご馳走になりながら、スウェーデン経済について、話を聞きました。
 IT革命の成功により、スウェーデン経済は好調で、失業率も低下しています。


 8月29日の午前は、7年前に私がよく訪問した「ダルボ」ケア付き住宅と併設されたグループホームを訪問。
 7年間でグループホームはやっぱり変わった。

 ここには、地元新聞のスモ―ランドポストの記者が来て取材。
私のグループホーム訪問は、翌朝大きくとりあげられました。
そのあと、母校であるシグフリッド国民高等学校に訪問。

 午後は、ブラウアー英子さんのお墓参り。
そして、べクショー大学訪問。晩は、国民高等学校の恩師でもあるオリアン市会議員夫妻と夕食。


 8月30日は朝6時15分の飛行機で1時間。
スウェーデンの首都ストックホルムへ。

 まず、スウェーデン大使館に、日本の厚生省から出向している森さんから、スウェーデンの近況についてレクチャーを受ける。

 午前中は、日本スウェーデン議員連盟の事務局を訪問。
来年5月に日本に来るスウェーデンの国会議員の視察の受け入れについて相談。

 午後は、グループホームを訪問調査。
ここにもスウェーデンラジオの記者が来て、「日本の国会議員がスウェーデンのグループホームを訪問」という取材を受けました。

 その後、スウェーデンの国会を訪問し、旧友であるカーリン・ウゲストロム国会議員と再会。
 彼女に改めて国会を案内していただき、意見交換した後、スウェーデン国会の厚生委員会スタッフと、高齢者福祉政策などについても意見交換。

 夕方からは、ストックホルム在住20年、福祉研究家である奥村芳孝さんと、カールマル在住の藤倉カールソン篤子さんと7年ぶりの再会。


 8月31日は、午前中はグループホームとケア付き住宅を訪問。
午後は、痴呆協会を訪問。


 9月1日の朝、ストックホルムを発ち、今この飛行機に乗っています。


 さて、これから調査などについて報告しますが、非常に長くなると思いますので、適当に読み流してください。
(注・期待してお読みください。メルマガ担当)

 1つ1つのインタビューや、訪問調査をすべて報告すると1冊の本になります。ここでは、そのエッセンスをお届けします。


 まず、スウェーデンの経済は好調です。経済成長率3.8%。
失業率5%。これは非常な好景気です。

 そもそもスウェーデンでは女性も90%が外で仕事を持ち働いているので、それで、失業率が5%というのはかなりの低さです。

 1992年から1993年までの2年間、私は妻とスウェーデンに留学していましたが、その時は、日本の景気が良くて、スウェーデンの景気が悪かったのですが、今は逆です。

 スウェーデンでは、財政再建が成功し、財政が黒字になり、さらに、IT革命が成功し、輸出も好調。羨ましい。

 ただ、福祉現場は以前よりも苦しい雰囲気。
また、7年前は1クローナ=17円でしたが、今は12円。円ははるかに強くなり、日本人はスウェーデンでは安く滞在できます。

 これは数字だけではなく、7年前に比べて、街を走る車が新しい。
タクシーがつかまらない。レストランも満員。などで実感できた。街の車も日本車が減ったEUの影響だろう。


 まず、IT革命の成功について。
スウェーデンはフィンランドに次いで、世界で二番目にインターネットが普及している。

 国民の60%がパソコンを利用。子供からお年寄りまでもがパソコンに親しみ、幼稚園から大きなパソコンに親しませている。


 まず、驚いたのは、スウェーデンの主要新聞であるダーゲンズ・ニューヘテルを初め、すべての新聞では、記事のあとに新聞記者の署名とその記者のメールアドレスが書いてある。
 
 ですから、読者が、記事に質問や意見があれば、すぐに記者にアクセスできる。

 実際、今回、スウェーデンに行くにあたって、恩師であるルンド大学のペール・グンナル教授への連絡は、日本からルンド大学のホームページにアクセスし、その中にペール教授のメールアドレスがあり、そこにメールを送って連絡した。
 
 スウェーデンは、国会議員のメールアドレスも、大学教授のメールアドレスもすべて公開。
つまり、完全な情報公開だ。


 さらに、スウェーデン政府や、スウェーデン厚生省の高齢者福祉の報告書を買おうと思ったら、以前は、街の本屋で買えたのが、今ではインターネットでしか買えなくなっています。これも人員削減の一環らしい。


 街では日本と同様に、携帯電話があふれる。メーカーはノキアとエリクソン。この携帯電話の威力は、はるか日本まで、携帯電話で通話ができる。スウェーデン人が来日しても、スウェーデンと連絡がとれること。
 ただ、iモードはない。これには、「日本のほうが進んでいる!」と誇らしく思った。


 また、母校のルンド大学のホームページも充実している。
スウェーデン語と英語の両方があり、日本からアクセスしても、どの教授が最近どのような論文を発表しているかがわかり、その論文も取寄せられる。

 そのホームページを担当しているビルギッタ・ボーフリアさんから、「カズ(筆者)も日本から選挙や政治活動の写真を送りなさい。ホームページに載せてあげるわよ」と言われた。

 ルンド大学事務室の掲示板に、私の選挙のパンフレットが貼ってあり、笑った。
(ここで内臓バッテリーが終了。あとは外付けバッテリー。残り日本到着まで8時間。バッテリーが続く限り打ちます。なくなればその時点で終わりです)


 私はルンド大学福祉学部で、7年前に客員研究員として、1年間研究した。スウェーデンの福祉が参考になるのは、日本よりも高齢化が10年早く進んでいるので、スウェーデンの現状を知ることにより、日本の10年後を予見することができるのだ。

 しかし、今後10年、スウェーデンは高齢化率は横ばい。
そして、日本は高齢化が、急速に進む。
日本はスウェーデン以上に、高齢者福祉に力を入れねばならない。


 なお、IT革命については、スウェーデンではもともと教育に非常に力を入れている。

 教育にも2つある。
 幼稚園から大学に至るまで、コンピューターに親しむ教育をしている。
 成人教育も無料で世界一充実している。


 そして、スウェーデンでは失業者に対する教育も充実している。

失業させて、ただお金を出すだけではなく、スウェーデンでは失業者に対して、コンピューターなどの職業訓練を受けさせ、たとえば、金属工場の仕事を失業した人が1〜2年後には、コンピューターの仕事につけるようにしている。

 あるいは、一般の事務で失業した女性が、介護の勉強をし、1年後には、老人ホームで働けるように再教育する。


 つまり、高齢化や情報化という時代に合った人材育成に力を入れている。


 このIT革命とともに、失業率を下げる政策について言えば、スウェーデンには、労働市場担当大臣がいて、労働市場政策つまり、失業率を下げることに非常に力を入れている。


 日本では、今までは企業が終身雇用という形で、雇用を保証していたので、政治の世界では、雇用は、それほど重要なテーマではなかった。

 しかし、リストラが増え、企業が終身雇用を、維持できなくなった今、日本の政府も、雇用政策に真剣に取り組む必要がある。

 そのためには、スウェーデンのような職業訓練や失業者への再教育が必要だ。


 では、IT革命で日本はなぜ遅れをとっているのか。

 確かに、日本でも森首相がIT革命を提唱している。

 たとえば、日本では今回の衆議院選挙でも候補者のホームページは禁止であった。

 つまり、インターネットを活用した選挙は、アメリカでは真っ盛りなのに、日本では禁止。

 これでは、「IT革命を全力で推進します!」という掛け声と、実際が違いすぎる。


 これについて自民党は、「まだまだ、パソコンやホームページを使っていない国会議員が多いので、インターネットを活用した選挙は、インターネットを使っていない政治家に不利になる」という理由を述べている。

 さらに、「インターネット利用者の7割が民主党支持」という統計もあるので、下手に解禁すると、自民党に不利になると自民党は考えているのであろう。


 国の未来よりも、自分の政党の保身に走っているように思う。

 こんなことではIT革命は進まない。 政治家が率先垂範をせねば。


 次に、福祉、特に、グループホームの話にうつる。

 さる8月4日、厚生委員会で、私の初質問で、痴呆性高齢者向けグループホームのことをとりあげた。

 グループホームのことが、日本の国会で取り上げられたのは、これがほぼ初めてである。とりあげた以上は、私も責任を持たねばならない。
 そんな気持ちで今回も、4日間で4ヶ所のグループホームを、訪問した。非常に考えさせられた。


 7年前に比べて、グループホームの入居者が、非常に重度化、高齢化している。

 グループホームについて詳しくは、私のグループホームのホームページを見ていただきたいが、グループホームの最大の目的は、痴呆性高齢者が、グループホームで食事の準備などを、手伝いながら残存能力を発揮し、それにより、痴呆の進行を遅くしたり、症状をやわらげることだ。


 しかし、今回訪問した4ヶ所で痛感したのは、いわゆる一緒に食事をつくったりする「生活リハビリ」が、もはやできない、高齢で重度な、痴呆性高齢者が、増えているということだ。


 順に紹介する。
 べクショーの「ダルボ」グループホームは、120人入居のケア付き住宅の一角を、痴呆性高齢者向けのグループホーム(7人)に改築したものだ。

 7年ぶりの訪問で痛感したのは、7人中、2人が車椅子であること。さらに、4人が介添えがないと歩けない。歩ける痴呆性高齢者が、スタッフと一緒に、パンを焼いていた7年前とは、かなり雰囲気が違う。

 一言で言えば、ミニ老人ホーム(グループホームではない)。

ここに開設以来、11年間、勤務している、介護職員のイングリッドさんは、「ひとりも料理を手伝える入居者は、今は、もういない」と言う。

 7年前に、私と一緒に、ダンスを踊っていた入居者アンナさんも92歳で昨年亡くなってしまったという。

 ただ、入院が必要にならない限り、死ぬまで入居者はグループホームに入居していられる。


 グループホームには、入居待ちで1年くらいの待機者がある。

「生活リハビリができない重度の痴呆性高齢者は、老人ホームに移ってもらい、生活リハビリがまだできて、グループホームを本当に必要とする、中度の痴呆性高齢者を、優先的にグループホームに入れたほうがよい、という意見はないのか」と質問した。

「そのように考える職員もいるけれど、ここは住居。お年寄りの“自宅”なのだから、誰も無理やりお年寄りを追い出すことはできない。特に、本人は意思表示はできないけれど、家族がずっとグループホームで預かってほしいと言う」とイングリッドさん。

 ここで残念ながらバッテリーがなくなりました。続きは、日本に帰ってからのちほど送ります。ご期待ください。

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               やまのい和則 拝


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