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その4
話は変わりまして、これは1993年にできた秋田県にあるグループホームの「もみの木の家」です。日本初の痴呆性高齢者向けグループホームと言われています。
※注:この写真は「グループホームケアのすすめ」 ダイニングキッチンです。これは、可能な範囲でお皿洗いや、配膳を手伝ってもらう。これはリハビリなのですから、グループホームにはダイニングキッチンが不可欠です。 以下、入居者のエピソードをお話しますが、プライバシーの関係がありますので、写真はありません。 入居者のつねさんは精神病院に入っていました。痴呆症が悪化して、病院では寝間着を着て、昼はグーグー寝る、晩は徘徊する。家に帰らせてもらいますと言って一日中徘徊する。歯を磨くときにも箸箱をもって、歯を磨きに行くような、つねさんでした。 ところがグループホームに入ってきたら、台所で、包丁とまな板のコンコンコンという音がしたら、引き込まれるようにのぞきに行くのです。日本のお年寄りの多くは、台所に愛着があるのです。 スタッフは、つねさんには、料理に関心があるのだろうと思い、簡単なほうれん草のおひたしをつくってもらった。
痴呆症ですから、「一人でやってください」といっても出来ない。スタッフの人が横にいて、多すぎない少なすぎない役割をもって一緒にする。そして食事の時には、スタッフが料理を手伝ってくれたつねさんに「いただきます、このほうれんそうおいしいわ」と。スタッフがつねさんに感謝をする。 当たり前ですが、痴呆症のお年寄りも人生の大先輩です。お年寄りが、スタッフに「ありがとう」「いただきます」と頭を下げて生きるのではなくて、痴呆症のお年寄りもスタッフから「おいしかった」「いただきます」と喜んでもらって生きたいのです。 お部屋のお掃除も、簡単なことは出来ます。 つねさんは、いろいろな能力がまだ残っているのではないか?言葉を失っていたのに、グループホームに入ったら元気になってきた。
このグループホームで猫を飼うことになりました。 私も笑ってしまったのですが、つねさんは、昔から猫が大好きで、朝からねこにメロンを食べさせているのです。 「みーちゃん、みーちゃん、おいしいか?」といって、つねさんが、猫のあたまをなでている。 猫をなでながら猫の世話をしていたら、言葉をしゃべれなかったはずのつねさんが、驚いたことに、言葉がドンドンドンドンよみがえってきたのです。 つまり、痴呆病棟にいたときには、話し相手がいないから言葉が失われていた。ところがこのグループホームでは猫の世話は自分がしないとダメなのだ、という役割意識をもって、元気になってきたわけです。
50人の老人ホームでは、50人の好き嫌いがあり不可能ですが、 私の将来の夢は、猫好きのグループホームがあっていい、そこには猫がいる。猫嫌いのひとは、入らなかったらいいのです。 犬好きのグループホームもあればいい。犬好きのひとは、そこに犬を飼って、犬と遊んでいたら、楽しく暮らせるのです。 あるいは、音楽や歌が好きな音楽好きのグループホーム。そこではいつも歌を歌っている。 ところがにぎやかなのがいや、うたも嫌い。静けさを好む痴呆症のお年寄りが入ったら、それは喧嘩になります。 また、音楽や犬はどうでも良いけれど、舌だけは人一倍肥えている。料理だけは、粗末なものでは納得できない、という痴呆症のお年寄りには、施設長さんがシェフのようなひとで、運営費の多くを料理につぎ込んでいる。料理が評判のグループホームがあってもいいのじゃないですか。 ひとりひとりに応じた個性豊かなグループホームが、私は小学校区に一つずつあったらいい思います。 たとえば、函館の「グループホームあいの里」に行った時は、私も感動しました。 痴呆症のお年寄りが、それこそ病院では、ほぼ寝たきりになったような人たちが、昔ながらの鍬(くわ)をもって、畑仕事をしている。昔から農作業をしていた方は、くわを握って畑仕事をするだけで、足腰がしゃんとしてきた。元気になってきたのです。
それで、もう一つ紹介します。 これは民家改造型で、福岡にある「よりあい」という有名な宅老所です。 まあこういう雰囲気です。 グループホームの良さは、小規模だから民家を改造してもできる。住み慣れた地域の中に、近所の人が「おいしい焼きいもができたよ」、と焼いもを持ってたずねてくださる。地域との交流ができます。 大きな施設を建てるのは、都会に大きな土地もないから、「大きな施設イコール町はずれ」にならざるを得ない。 そうすると焼き芋をもっていくにしても、大人数分を持っていかなければならない、遠いから、身構えていく、そんなに簡単に行けないです。
入居者の一人、いとさんは、92歳で痴呆症の方です。私が何回も、「京都から来たやまのいです」といっても覚えてくれない。 トイレ行って帰ってきた。「おたくさんなんて言う名前でしたっけ?」 この方は、昔は表千家のお茶の先生。それでお抹茶を点てるということは出来る。お抹茶を点ててもらって、スタッフが客になって、いただく。 「おいしいわ、この抹茶。今日、京都からやまのいさんという方がお客さんで来られているから、いとさん、やまのいさんにもお抹茶を点ててあげてください。」 そういったらいとさんは、私の顔を、何回見ても覚えられないけれど、お抹茶をたて始めると、お茶の先生の手さばきになるのです。
グループホームケアは、至れり尽くせり大事にするケアではなく、若いころの半分、あるいは10分の1しか、能力が残っていないかもしれない、しかし、その能力を発揮してもらって、まわりから必要とされる、喜ばれる存在になってもらう、素晴らしいケアです。
ですから、今までこういう大規模な施設や病院にいたり、家庭にいた人が、これからグループホームに移って来る時代となりました。
ある京都のグループホームの話です。 そこに知人の姑さんが痴呆症で入られました。それまでは、老人保健施設の6人部屋に入っていたのです。 老人保健施設にいたときに、家族が施設に訪ねると、寝間着を着た痴呆症のお母さんが「連れてかえって。連れてかえって」という。面会が終わる時間になり、家族が帰ろうとすると、姑さんが追いかけてくる。それをまさに後ろ髪を引かれる思いでお嫁さんは、帰ってきた。 ところが、グループホームに入ったら、お花をいけ、出来る範囲でみんなのお茶をいれ、簡単な役割を持たせてもらう。個室で夜もぐっすり寝られるようになり、姑さんもお嫁さんに、「ここは安心だ。くつろげる」という意味のことを言っておられます。 白髪が多かったのが、白髪が減って黒い髪の毛が増えてきた。これは横浜のグループホームでもありました。ストレスが減ったせいで、髪の毛が黒くなってきている入居者が増えています。 ご家族の方は、「グループホームは本人にとってもいいだけではない。私たち家族にとっても、どれだけ心がらくになったか。それにここには(グループホーム)には、孫を連れていける。残念ながらあの6人部屋では、孫を連れていけなかった」と。
今までの老人ホームでは、職員の方がお年寄りのペースにあわせたケアをやりたいと思っても、スタッフの数が少ないので、できない。 厚生省もユニットケアというものを、最近進めています。大規模な50人の老人ホームでも中を8人規模くらいに分けて、そこでグループホーム的なケアをするようにしたり、あるいは新しくたてる老人ホームもユニットに分けて新築する老人ホームの場合は、補助金を多くつけるとも言いだしています。老人ホームでグループホームケアを行うのです。 高齢者福祉は世界の流れでは、日本は10年以上遅れているのです。 住み慣れた地域には、立地条件で、大きな施設は、つくれないのです。 繰り返しになりますが、痴呆症になる、人間が一番弱ったときに、地域の中にいて、なじみの人の近所にいる事が大切になったときに、残念ながら、今までは、住み慣れない遠くの地域の老人ホームや病院に移動させていたのです。
地域の痴呆症のお年寄りを、移動させるのではなくて、痴呆症のお年寄りがいるところにサービスを作ろう。その考えでいけば、地域には、大きな施設はできるはずないのです。小規模のグループホームしかないのです。 先日、ある牧師さんは、「人間という言葉は人の間と書く。つまり人と人との間にいるから、人間なのです」と言われました。 ところが残念ながら今までの日本の老人福祉というのは、ねたきりになった、痴呆症になった、家族で面倒見られなくなったら、人の端っこに、地域の端っこに追いやってしまうわけです。 ですから、そういう今までのケアは、根本から変えていかないとだめだと思います。 「キリストという方は子供や体の不自由な方や病人は真ん中においで」、この話も、牧師さんから聞いたのです。 真ん中におくということは、大事にすることです。 端っこにおくということは邪険にする、ことです。 繰り返しになりますが、今までは体が弱った人や痴呆症のお年寄りを、地域の端へ端へとやっていたわけです。 今までのやり方は、人の道にも反している、弱った人を、弱った人こそ、地域の中で支えていく意味があるのです。 |