やまのい和則の 「痴呆ケアの切り札・グループホーム!」 第31号(2001/01/25) メールマガジンの読者の皆さん、こんにちは。 ------ホスピス------ 私が尊敬する山崎章郎先生(桜町ホスピス院長)のラジオ放送を 聞きました。 「病院で死ぬこと」というベストセラーの著者で、日本のホスピス 運動の第一人者です。 山崎医師は、エリザベス・キューブラロスという著者の「死の瞬間」 という本を読んで、 「人間が最後に求めるのは、鎮痛剤などの薬ではなく、その患者さ んが大好きだったグラス一杯のぶどう酒と、手作りの温かいスープ である」 と知り、終末期医療におけるホスピスの大切さを痛感されたと言う。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ------終末医療もグループホーム------ その山崎医師が、 「今後の理想は、グループホームのようなホスピスを、地域に増や すことです」と話されるのを聞き、私は感動しました。 「数人のがん患者さんが共同生活をし、家庭的な雰囲気を大切にす る。ただ、グループホームだけでは不安なので、バックアップの 医療体制の整ったホスピスや病院が、そのグループホームをバック アップする」とのことです。 ------痴ほうケアのグループホーム------ 語弊があるかもしれませんが、グループホームは 「痴呆症のお年寄りのホスピス」とも呼ばれることがあります。 これは、「痴呆の病気そのものを治すことはできないが、残された 人生を、その痴呆症のお年寄りが、できるだけその人らしく、人間 らしく生きることができる場である」という意味です。 山崎医師がおっしゃるには、 「ホスピスで重要なのは、患者さんの人生にとって何が大事であっ たかを探し当てることです」とのことです。 「死ぬまでに一回でよいから、本当の競馬場に行きたい」と言った 競馬好きの男性患者。 翻訳が好きで、亡くなるまでホスピスで翻訳を続けられた患者さん。 ホスピスでは、可能な限り、本人の希望をかなえるよう、お手伝い するそうです。 ------取り戻せた宝物------ さらに、山崎医師は次のような話をしておられました。 長くなりますが紹介します。 60代のある女性のがん患者さんは、 「私はガンになって良かったと今では思っている」と、山崎医師に 話されたそうです。 その理由は、 「60歳を過ぎると独立した子供たちは、仕事などが忙しくてなか なか顔を見せてくれなかった。 しかし、私がガンになったので、忙しい時間のやりくりをして、 子供たちがみんな、会いに来てくれるから」だというのです。 この女性にとっては、昔の子供たちとの“一家団らん”が宝物の ように幸せなひとときだったのでしょう。 そんな機会は、年をとると少なくなる。 しかし、ガンになって、そんな時間が取り戻せた、というのです。 親不孝の私には、心にこたえる話でした。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ------羞恥心------ 私が、高齢者福祉やグループホームの運動をし、政治家にまで なった理由は、今までに何度も書いたかもしれません。 10年ほど前、病院でベッドに縛り付けられ、 「トイレに行きたい」 「ひもをほどいてください」と、泣いて訴える痴呆症のお年寄りと の出会いでした。 そして、痴呆病棟、風呂場前の廊下に、入浴前のおばあさんたちが、 裸で並ばされている姿を、見たことでした。 「人間というものは、人生の終末、こんなに軽く扱われるのか。 尊厳もない」。 このショックが私を突き動かしてきました。 しかし、残念ながら、そのような悲しい現実は、まだまだなくなっ てはいません。 ------収容所------ ナチスの強制収容所では、収容された人々は、 「羞恥心を持つことが、許されなかった」そうです。 それと似た状況が、いまの豊かな日本にも存在します。 そんな「モノは豊かだけれど、愛がとぼしい日本」を変える起爆剤 が、グループホームだと思います。 やまのい和則 拝 |