2025.3.25
衆議院議員在職25年表彰に対する『謝辞』
大感謝!京都南部の皆様のおかげです!
『衆議院議員在職25年表彰』を受けました!
これからも
『社会のぞうきんになって、社会をきれいにしなさい!』
という恩師の言葉を肝に銘じ、働かせて頂きます!
私は、1996年の選挙に初挑戦して落選したのち、2回目の選挙(2000年6月25日投開票)で、初当選。
今日まで、連続9期25年、議員をさせて頂いています。
地元の皆様には、いくら御礼を申し上げてよいかわかりません。
本日、モーニングを着て、衆議院議長から、表彰状を頂きました。
ちなみに、モーニングは、レンタル(1万円)です。
25年表彰に対する『謝辞』を、国会に提出することになっており、以下の『謝辞』を国会に提出しました。
地元の皆様、私を支えて下さっているすべての方々に、心より御礼申し上げます。
『この度、衆議院議員在職25年の表彰を賜りました。私が衆議院議員に初当選させて頂いたのは2000年6月25日です。
何よりも、9期25年間、落選中も含め30年間、ご指導頂き、支えて頂いた、京都6区、京都南部の地元の方々に心より御礼申し上げます。
特に、私の活動を支えて下さっている支持者、ボランティアやスタッフの方々の並々ならぬご尽力と、私を応援して頂き、ご指導頂いている方々に、重ねて、厚く御礼申し上げます。
私の座右の銘は、「社会のぞうきんになれ!社会のぞうきんになって、社会をきれいにしなさい!」という仏教精神の洛南高校で、三浦俊良学校長や担任の虎頭祐正先生から頂いた言葉です。この言葉を肝に銘じ、「福祉の山井」として、福祉を中心に国会で取り組んできました。
私が政治を志した原点は、学生時代に児童福祉施設で6年間、ボランティアをし、また、私の祖母が長年の寝たきりの末に亡くなったことです。
貧困や虐待に苦しむ子どもたち、また、寝たきりや認知症の高齢者、その介護者やご家族の方々の「声なき声」を、誰かが国会に届けないと、世の中は良くならない!と、政治を志しました。
民主党政権の時には、2009年、2010年、長妻昭厚労大臣のもと、厚生労働大臣政務官を務めさせて頂き、児童手当の中学3年までの延長や、「消えた年金」の被害者救済、障害者自立支援法の廃止と障害者総合支援法の成立などを実現できたことは、大きな思い出です。
また、議員立法による福祉の充実などに力を入れ、25年間に494回の国会質問などをすると共に、145本の議員立法を作成して国会に提出し、介護職員・障がい福祉職員処遇改善法、子ども貧困対策法や過労死防止法などを成立させることができました。昨年は、児童手当の高校3年までの延長を実現させ、今年は、がん患者の方々などの高額療養費引上げの凍結を実現することができました。
特に、被害者やご遺族、ご病気の方々、障がいのある方々、介護を必要とする方々など、当事者や弱い立場の「声なき声」を、国会で代弁し、与野党協力し、法案を成立させたり、予算を獲得することに力を入れてきました。これらの実現は、私の力だけでは到底無理であり、超党派の素晴らしい同志の議員、党職員、法制局や調査局を始めとする衆議院事務局のスタッフの方々、各府省の官僚の方々のおかげです。
さらに、地元については、「お茶振興法」の成立や、宇治茶や京野菜の振興、新名神高速道路の推進など、京都南部の活性化に取り組んできました。
これからも、「福祉の山井」として、弱い立場の方々や京都南部の住民の代弁者、僕(しもべ)として、全力で働かせて頂きます。
心からの御礼と、決意とさせて頂きます』