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介護保険の適用を拡大して「人間を大切にする国」へ(メルマガ第610号より一部抜粋編集)

 先週の国政報告会でも、介護保険の被保険者・受給者の年齢拡大について議論をしました。
 しかし、介護保険を全年齢に拡大し、障害者の介護も介護保険でカバーし、若年者も介護保険料を払うことについては、消極的な意見が多かったです。

 何よりも高齢者の介護保険については、
 「介護保険のおかげで、親の介護に助かった!」
 という喜びの声が多かったですが、障害者福祉に関しては、なかなか身近ではなく、 「高齢者福祉に比べて、障害者福祉は10年遅れている」と話しても、なかなかピンと来ないのです。
 しかし、障害者福祉は、本人やそのご家族にとって、本当に大きな切実な問題です。そして、誰もが(自分の家族なども)交通事故や病気、難病などでいつ障害者になるかわかりません。


 福祉の議論をすると、福祉推進派の私の議論はどうしても「負担増」になります。ですから、仙谷政調会長からも私は、「ミスター負担増」「大きな政府論者」などと言われますし、「山井が持ってくる話は、カネがかかる話ばっかりやなあ」と言われてしまいます。
 確かに、社会保障費は20兆円を超え、日本の財政再建のためには、どのように社会保障の伸びを抑制するかが大きなポイントです。
 しかし、一方では、苦しんでいる人々に必要なサービスを提供するのも政治の重要な責務です。
 この不況の折に、障害者福祉の予算を増やす。非常につらい話です。難しい話です。しかし、障害者福祉が多くの人々にとって、多くの議員にとって「他人事」であるがゆえに、私は、逆に必死に頑張りたいと思うのです。

 遅れすぎている障害者福祉の現状。
 たとえば、高齢者のホームヘルプは、全国どこの自治体でも利用できます(当たり前!)が、障害児や知的障害者、精神障害者のホームヘルプは、全国の自治体の半分では利用できないのです。サービスがないのです。
 これをどこの自治体でも受けられるようにするには、財源を増やさねばなりません。介護保険を活用しないと、なかなかサービスは増えません。
 当然、不況の苦しみは全国民で分かち合わねばなりません。しかし、その不況のしわ寄せをもっとも直撃で受けるのが、今までから最も弱い立場にいる障害者やそのご家族であってはならないと思います。
 
 私は、十数年前から介護保険推進の運動をし、全国で講演し、何冊も本も書いているから痛感します。
 介護保険をつくるときは、「お年寄りの介護が大変だから、介護保険をつくろう!」という世論の盛り上がりがすごかった。しかし、今回、その介護保険を障害者にも広げよう、という声は小さい。
 理屈から考えれば、高齢者だけでなく、障害者も地域で十分なサービスが受けられて当然です。実際、今は65歳以上の障害者は介護保険の対象であり、かなりの量のサービスを利用しているのですから。
 年齢が若いと利用できるサービスが大幅に減るのです(ごく一部、介護保険以上のサービスが利用できているケースもありますが)。

 高齢者の介護のため、「65歳以上の障害者福祉」のため、に保険料を払うのは仕方ないが、(64歳以下の)障害者の福祉のために保険料を払うのは苦しい。というのが現状でしょうか。
 
 社会保障と負担増の問題は、永遠のテーマです。
 しかし、「高齢者福祉は自分の問題だが、障害者福祉は他人事」という意識は、私は何としても変えねばならないと思います。
 これは、にわとりが先が卵が先かの議論でもあります。
 障害者がなかなか地域で目立たないから、みんな障害者福祉に無関心。無関心だから障害者福祉の向上に消極的。
 介護保険が全年齢対象になれば、一気に多くの障害者がサービスを受け、地域で目立つ存在になります。そうすれば、世論も障害者福祉への関心が一気に高まり、障害者福祉もますます充実する。
 そして、障害者福祉が充実し、就労できる障害者が増えることは、国家財政にとっても、もちろん、本人の尊厳にとっても大きなプラスです。

 私も一人の国会議員として、目指す国家像というのがあります。世界から日本をどのように見られたいか。私が目指す日本の国家像は、「平和を愛する国」「人間を大切にする国」「ひとりひとりの人間を大切にする国」です。
 残念ながら、一時期、日本は「エコノミックアニマル」と海外から批判され、お金はあるが顔の見えない国と日本は言われました。
 しかし、そうではなく、「平和を愛する国」「ひとりひとりの人間を大切にする国」として、世界から信頼され、尊敬される国にせねばなりません。

 海外から日本に来た観光客は一様に、「日本では、車椅子の人を街であまり見かけない」「街に段差が多い」と批判します。
 逆に、欧米の都市を観光すれば、私たち日本人は、車椅子の人々をよく街で見かけることに驚くのではないでしょうか。
 たとえば、日本の首都東京の山手線を車椅子で移動するのは至難の業です。
 「その国の真の豊かさは、車椅子で独力移動できる距離ではかることができる」というのは、私の恩師の一人である早稲田大学の岡澤教授の言葉です。

 ですから、私は介護保険の年齢拡大(エイジフリー化)の議論は、日本の国のあり方、どんな国を目指すのか、が問われる問題だと思うのです。「障害者に冷たい経済大国」という汚名を挽回するためにも、介護保険のエイジフリー化が必要と思います。

Posted at 2004年12月14日 23:17 | TrackBack
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Comments

はじめまして。障害者福祉の問題がなかなか一般に認知されないことに私ももどかしさを感じています。この度は大学院進学を考えて検索していて、斉藤弥生さんを経て山井さんにたどり着きました。私も学生時代に一年間、イギリスの障害者カレッジに住み込みボランティアをし、その後JAで高齢者福祉や女性会という地域組織を担当しました。高齢者福祉は自分の親や自分自身にもいずれ訪れることとして身近に、そして真剣に感じて考えてもらえるのですが、障害者となるとどこか他人事のような偽善的な近寄りがたいイメージが根強いようです。子どもの頃からの環境や教育が大切だと感じたり、キリスト教的な文化を土台とするヨーロッパ人には日本人とは持ち得ない価値観があるのかとか、…いろいろ考えました。普段の生活に障害者が登場しないこの今の日本社会をどうにかしたいという気は多分にあります。山井さんのように制度を変革していくことは本当に重要だと思います。ボランティアを終えるときに「私のケアラーになって」と下肢麻痺で社会に出ようとする女の子に頼まれました。自分で介護者を選択でき、同居人として公的な補助がもらえるというイギリスの仕組みに驚かされました。自立、自己実現といってもその前提となるものが今の日本にはほとんどありません。当初私は法律や制度、専門職といったフォーマルな部分より、一般の人々の意識が大事だと考えていました。なぜなら、そのような確固たるものがなくても、近くにいる人のちょっとした気遣いや手助けで障害者が暮らせたり、一般の人の目線がもっと優しくなれば障害者自身の生きる気持ちがもっと前向きに、まっすぐになると思ったからです。しかし、やはりフォーマルな部分が先導してくれないと私たちの意識もそう簡単には変わっていかないようです。介護保険で在宅介護が一気に普及したように、障害者が町のあちらこちらに見られるようになればいいのに。それが「ひとりひとり」が尊重される社会の顕れですよね。私たち自己中心的な若い世代に必要な、周りを思いやる気持ちもこのようなところから啓発されていくのではないでしょうか。

Posted by: Kayoko.U at 2005年01月28日 02:34

介護保険の適用を拡大して「人間を大切にする国」へ(メルマガ第610号より一部抜粋編集)
―上記内容を拝読しているうちに、私は、以下のような、《民主党に望む政治理念》を提言しようと決心しました。山井さんの御発言内容を、そのまま引用した箇所がありますが、どうか、民主党を支持する熱意に免じて、御容赦のほど御願い致します。―[福祉および環境問題の視点から、民主党に望む政治理念の提言]:民主党には、以下に述べる理念で、政治を掌って欲しいし、国民に対しても、このような理念(根本的な思想)を伝達して、啓蒙活動もして欲しいと願っております。この啓蒙活動によって、民主党の理念(根本的な思想)が、地球人類の幸福を約束できることを、世界に発信するのです。―[現状の認識]:①資本主義社会の《弊害として露呈する現象》には、《市場原理万能主義および競争原理万能主義》から見放され、《切り捨てられた弱者の福祉》が存在する。②人間は、誰もが(自分の家族なども)、交通事故や病気や難病や老い等により、いつ障害者になるか、予測出来ないのであり、一寸先は闇なのである。いつ弱者の立場になるか、予測出来ないのであり、一寸先は闇なのである。
民主党は、その闇に希望の光を灯すために、政権奪取を目指す。③《弱者の福祉を切り捨てた与党》は、愛を切り捨てた資本主義である。愛なき生活には、希望がない。《弱者切り捨ての与党》には、絶望しかない。絶望から、心の荒廃も生まれ、《競争原理万能主義》から、貧富の格差も生まれ、その格差が固定化して、生活不安が生まれ、社会不安が生まれ、このまま、与党に政治を任せれば、日本の資本主義社会も、近い将来に崩壊し、民主主義も、近い将来に崩壊して、《裕福者による独裁政治》が発生する。④《独裁政治国の国民大衆》には、夢も希望もなく、そのような国は、存亡の危機を迎えるのである。⑤さて、これからは、民主党の政治理念(根本的な思想)を述べることにします。―⑥[民主党の政治理念(根本的な思想)]:「障害者に冷たい経済大国」という汚名を挽回するためにも、介護保険の年齢拡大(エイジフリー化)が必要である。介護保険が全年齢対象になれば、一気に多くの障害者がサービスを受け、地域で目立つ存在になり、障害者が町のあちらこちらに見られるようになれば、「ひとりひとり」が尊重される社会となり、自己中心的な人達も、周りを思いやる気持が啓発されていくことになる。この事柄により、結果として、《想念の汚染(心の荒廃)》を減少させていくことにもなる訳である。⑦しかしながら、マクロ的視点で述べれば、地球人の《想念の汚染(心の荒廃)》を食い止めるためには、「地球上の人類全体が、自分たちだけで 生命を維持しているのではなく、地球の健康は、汚染のない宇宙(環境)が支えていて、人類の健康は、《地球と言う生命体の健康》に支えられていること」を、自覚するべきである。すなわち、「我々人類は、宇宙の一部であり、宇宙と言う生命体内部の微小な生命体であること」を、認識する必要がある。⑧《資本主義社会の文明の価値》は、その社会で最も恵まれない人々に対する同情の度合いによって測られる。すなわち、病人や老人や貧しい人々が、どれだけ救われているかによって、評価される訳である。⑨地球人は、「宇宙で唯一の知的生命体である」と云う「傲慢な思考」を反省するべきである。それを出発点としなければ、《地球の環境問題(いわゆる不都合な真実)》や、《人類の想念汚染(心の荒廃)》を乗り越えることは出来ない訳である。⑩科学技術が進歩しても、それを「宇宙的視野で活用する想念」がなければ、科学技術が、地球や宇宙の平和のために活用されることは無いのである。北朝鮮の核実験は、地球や宇宙の平和を破壊する行為である。←{民主党には、このような理念で、政治を掌って欲しいし、更にまた、このような理念を、国民に対しても啓蒙して欲しいと願っております。}― 以上。

Posted by: 東 恭彦 at 2007年03月29日 02:54

こんにちわ!はじめまして。
僕は工学系の大学院の学生です。
自分の研究を通して、今障害者福祉について考えております。僕は山井さんのいう日本の国家像、「平和を愛する国」「人間を大切にする国」「ひとりひとりの人間を大切にする国」に非常に共感します。ICFでは、健康の定義として従来の考えにはない障害の定義を提案しました。僕はさらに発展して、障害は全ての人がもっていると考えています。それは「健常者」が考える一定の基準を取り払いひとつの目標のために全ての人が努力する社会です。そしてそれが何のために存在しているか考えることが重要だと思います。しかしこれを社会全体として捉えると難しいのではないかと思います。個人の願いは全体の願いとイコールであるべきです。人が社会をつくるように、社会もまたひとりの人とみることができます。大きくいうと宇宙ともイコールだと思います。一人の願いが叶う社会でありたいものです。今は確かに街のバリアフリー化が進み障害者も進出してきました。しかし、本質が理解されなければ障害者にとって不利な状況になることもしばしばあります。外的なモノは全て内的な愛の媒介として存在するべきです。高齢者福祉に関する施策や啓蒙など根底にある愛が伝わりきれていないのではないかと思います。そして「隣人を愛す」という言葉があるように、あらゆる個人にたいして関心をもつことが重要ではないかと思います。今の社会は「個人への関心」が足りないように感じます。駅構内で人が倒れても知らないふりをするのはなぜでしょうか。同じように高齢者福祉と障害者福祉の問題は存在すると思います。人はもともと優しいはずです。「困っている人を助ける」それだけで問題が解決するのではないかと考えるのです。

Posted by: 澤田 at 2007年04月13日 17:47
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