メールマガジンの読者の皆さん、こんにちは。
今は、1月30日の深夜1時。正確には31日です。
いま、国会から青山宿舎に戻りました。
ご存知のように、今夜11時20分から衆議院本会議が行われ、
イラクへの自衛隊派遣の国会承認が行われましたが、
私たち民主党は、本会議を欠席しました。
明日(正確には今日)も5時起きで、
地元に戻るので、そろそろ寝ますが、
しかし、今日のイラクへの自衛隊派遣の承認は、
どうしても許せないことですので、思いを書きます。
■私たちが本会議に出席して反対するのではなく、
そもそも本会議を欠席した理由は、
イラク復興支援特別委員会などでの政府の答弁が
あまりにもいい加減であり、
サマワの治安の調査も十分にされていないにもかかわらず、
与党が委員会で強行採決をしたからです。
日本の歴史を大きく汚す転換の議論を
たった二日の、
いい加減な議論で済ますことは許されません。
「派遣の是非」以前の問題です。
「まず、結論ありき」。
自衛隊を派遣する、
ブッシュの言うことは何でも聞く、
という結論ありきです。
戦後日本の平和国家の誇りも全く感じられません。
◆本会議に欠席が決まり、時間があったので、
若手議員4人で羽田孜元総理を囲んで話を聞きました。
羽田さんは、
昔の自分の農林大臣、外務大臣、大蔵大臣の際の経験から、
「アメリカにも言うべきことは言わねばならない。
アメリカの『ポチ』であってはならない。
戦争を知らない世代の政治家は強引過ぎる」
とおっしゃっておられました。
その際に、今日あった
後藤田正晴元官房長官の講演の話になりました。
後藤田さんは自民党のハト派で有名な議員でした。
後藤田さんの講演メモが、
自衛隊派遣を批判する非常にわかりやすい内容なので、
以下に転載します。
◆イラクへの自衛隊派遣について(後藤田講演メモから)◆
1、国際社会のルールを無視した
単独主義的な先制攻撃であること。
2、作られた疑いの濃い情報によって
正当化された戦争であること。
3、イラクが持っていると疑われた
大量破壊兵器の国連による捜索の終結を待たずに
行われた戦争であること。
4、政府の自衛隊派遣の目的は
イラクへの人道支援と復旧、
そして国際協調というが、
それらは口実であってブッシュへの過早な
小泉の約束手形を落とすことが先であって、
日米関係を円滑にすることが目的である。
5、国内の論識も、
派遣先の自衛隊の安全の有無が、
主題とされた傾きがあるが、
武装部隊の海外派遣の大義の存否が問題であって、
危険の有無は大事であっても、
二次的論議であるべきだ。
6、アメリカの戦争に
日本が何処へでも武装部隊を派遣するということは、
国益上あり得ないことである。
日米安保は日本と極東の安全に係わる事態に限られる。
7、北朝鮮の問題は、
日米安保そのものの問題であって、
憲法九条に反してまで
遠いイラクへの武装部隊派遣の有無によって
日米の信頼性が揺らぐ程度のものとは考えられない。
◆今回の派遣によって、
今後もアメリカの言いなりになって、
自衛隊を海外の危険な地域に送り続けることになるのは
大問題です。
自民党でも古賀誠、加藤紘一、亀井静香各議員は、
この自衛隊派遣の国会承認の採決に、棄権か欠席をしました。
当然のことです。
27日(火)に、第2回の民主党介護保険WTを開催しました。
・第2回介護保険WT厚生労働省資料(pdf 1.57MB)
今回は、介護保険の財政を中心に厚生労働省からヒアリングを行いました。
議員からは、保険料の逆進性の強さの改善を求める意見や、保険者規模の見直しを促す意見がありました。
被保険者の年齢引き下げについては、介護保険制度制定当時に関わった議員からも、厚生労働省からも、当時の積み残し事案として、今回の5年目の見直しできちんと議論してゆきたいとの話があった。
また、障害者の支援費との統合に関係して、障害者の方々が、負担の増加や必要なサービスが受けられなくなることについて、強く不安を感じていることなどの指摘がありました。
山井が座長を務める、介護保険WTの今年第1回目の会議を開催しました。
介護保険制度5年目の見直しを控えて関心も高く、議員30人以上、多数の秘書、それに20人を超す外部からの傍聴の方で、部屋は満杯でした。
今日は、厚生労働省から介護保険の現状と、見直しに向けての論点についてヒアリングを行いました。
介護保険WTでの厚生労働省資料
・介護保険部会における検討状況(PDF 2,046KB)
・介護制度改革本部の設置について(PDF 92.5KB)
2004年がスタートしました。私にとっては、衆議院議員として4回目の正月です。
一期目の3年半で、国会がようやく理解できました。
二期目は、今まで以上に精一杯、一期目の数倍、働きます。
今年も私のメルマガをご愛読くださいますよう、そして、共に政治と社会を良くする運動にご支援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
■さて、今年の私のお正月は例年通り。
大晦日から元旦にかけて行事が立て続けにあり、現在、1月1日の午後3時、睡眠は2時間。
大晦日から元旦にかけては、神社やお寺の行事などが多く、連続で回りました。
それぞれ有難い講話を聞かせて頂き、とても勉強になりました。
睡眠不足でふらふらになりながら、さきほど実家にたどり着き、両親とネコ(ちゃちゃ)に新年の挨拶。年賀状に目を通しました。
私が出していない多くの方々から賀状を頂きました。有難うございました。
また、丁寧に一筆を添えて頂いた年賀状には感激しました。私は一筆も書けず申し訳ありません。
■今年の国政の大きな課題は、国際的にはイラク問題、北朝鮮の拉致問題の解決。
米国一辺倒でなく、国連やフランス、ドイツ、近隣のアジア諸国と連携をとりながら、ブッシュ政権の言いなりではない、日本らしい外交が求められます。
唯一の被爆国として、憲法の枠内で、イラクの復興を支援する取り組みが必要です。
また、北朝鮮による拉致問題については、経済政策を含めた今まで以上に強い態度が必要と考えます。
この問題については、民主党内では鳩山由紀夫議員がリーダーシップをとり、取り組みを進めつつあります。
拉致問題は、日本の国会の恥です。
■国内に関しては、まずは年金問題。
与党の年金改革案では、将来の安定は望めません。民主党案のような抜本的な改革が必要です。民主党案について詳しくはまた追って説明します。
連休明けから国会で年金改革の法案審議になりそうです。
また、批判が強い国会議員の議員年金は、大幅な切り下げが必要です。
■早速、1月13日は民主党の党大会。
翌日の14日からは、民主党の年金改革チームの会議がスタートします。
6月の年金改革の審議終了まで、ほぼ半年、連日、年金の議論が続きます。
さらに、1月19日に通常国会がスタート。私は今年も和服で初登院します。
■1月末に国会が動き出せば、障害者福祉、介護保険、児童虐待防止法、DV防止法の見直しの議論も、年金改革の議論を共に急ピッチで動き出します。
■また、地元である京都南部に関しては、第二名神高速をはじめとする道路交通の問題、宇治茶ブランドや茶業振興、農業の振興、雇用の創出など、課題は多くあります。
同時に2月末日まで、地元では新年会が連日目白押しで、東京と京都のとんぼ返りの日々が続きそうです。
そんな中、2月には京都市長選挙と八幡市長選挙。必ず勝たねばなりません。
また、7月には松下政経塾以来、私の15年来の親友である福山哲郎参議院議員の大事な二期目の選挙があります。
このような慌しい1年が始まりました。
一回でも多くメルマガを書きます。それも長文でなく、短い文でこまめにメルマガを書きたいです。
(切にお願いします! メルマガ担当より・・・)
どうか今年もよろしくお願い申し上げます。
一通一通お返事はできませんが、ご意見やご要望もどしどしお寄せください。
厳しいご意見も大歓迎です。
少しでも住みよい社会にするために、共に頑張りましょう!
やまのい和則 拝
私が政治に関心を持ったのは、今から20年前のことです。
当時私は、化学を勉強する大学生でしたが、同時に、母子寮という児童福祉施設で週に2度、ボランティア活動をしていました。家庭が崩壊した子ども たち、親から虐待された子どもたちと遊び、また、子どもを抱えて必死に生活を立て直そうとしているお母さん方と接し、私は、幸せと不幸の狭間で苦しんでいる人々が多いことを痛感しました。
当時、リクルート事件が起こり、私は怒りを感じました。子どもたちや貧しいお母さん方は政治献金できず、政治家に声を届けることができません。生活に困り、政治の力を最も必要としている人々は、政治献金もできず、政治的な力を持てないのです。失業者、障害者、寝たきりや痴呆症のお年寄りもそうです。
しかし、そのような方々の声なき声を代弁する政治家が増えない 限り、住みよい社会はできません。
「社会のぞうきんになって、社会をきれいにする生き方をせよ!」という私の母校の校訓を心のよりどころとし、国会で戦います。
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1962年
1月6日生まれ。やぎ座、A型 45歳1980年(18歳) 洛南高等学校卒業 |
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1986年(24歳)
京都大学工学部大学院(工業化学科)修了。 バイオテクノロジーを研究。 |
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■左写真 大学時代、母子寮(児童福祉施設)で。 (1982年、20才) |
1986年~
(財)松下政経塾入塾(7期生)5年間在塾 |
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■右写真 米国ミシガン州商務省にて研修。 日米貿易のあり方を提言。 (1988年、26才) |
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1990年
京都ボランティア協会職員 |
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■右写真 1ヶ月泊まり込んで実習した イギリスの老人ホームにて、101才のルースさんと。 (1990年、28才) |
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1991年~
2年間スウェーデンに留学し、福祉、政治、 地方分権、男女共同参画などを学ぶ。 |
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■左写真 盲目のリンクビスト厚生大臣(スウェーデン)と福祉対談。 山井は英語・スウェーデン語を話す。 (1992年、30才) |
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1994年(32歳)
立命館大学政策科学部講師 ■右写真 |
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1995年(33歳)
奈良女子大学生活環境学部専任講師1996年(34歳) 衆議院選挙に民主党公認で、京都6区から出馬。 次点で惜敗。 |
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2000年(38歳)
6月25日の衆議院選挙において、民主党近畿ブロックより立候補。比例順位1位で初当選。 |
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■右写真 2000年6月25日 初当選 「社会のぞうきんになれ!」との教えを受けた恩師・三浦俊良元学校長から祝辞を受ける |
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2003年(41歳)
11月9日の衆議院選挙において、京都6区より立候補。117,467票を頂き、再選。 |
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2005年(43歳)
9月11日の衆議院選挙において、京都6区より立候補。小泉旋風に負けずに激戦を勝ち抜き 3選。 |
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趣味 卓球、ネコの世話、 おいしいお茶を飲むこと、入れること(難しい!) 好物 たこ焼、漬物、納豆、たこ焼き、緑茶、抹茶 自宅 京都府宇治市 (妻と2人暮らし) |
ネコのアンちゃんと(グループホームにて) |
1993/11/10 日本経済新聞夕刊より。 近年にない就職難。大学三年生の一部は早くも来年の就職活動に動き始めたが、企業に身を託すことだけが人生ではない。大学を卒業しても就職せず老人福祉の研究と実践に明け暮れる若者も。そんな一人で「体験ルポ 世界の高齢化福祉」(岩波新書)を著した松下政経塾研究員・山井和則(当時31歳)が明かす「僕が企業に就職しなかった理由」とは?
10年近く経った今も、その熱い思いは変わらない。