やまのい和則と歩く歴史探訪 シリーズ

山背古道の遺跡と古寺探訪(2)


 山背古道とは、京都と奈良(城陽市〜木津町)の間、南山城の山際をゆるやかにうねりながら続いている一本の古道。古文書によれば、大化の改新(645年)後、山代、山背と書いていたが、平安京遷都(794年)後、山城と改められたらしい。
 シリーズ2回目を迎えた今回は歴史に詳しい案内人と共に、木津を主として遺跡と古寺を訪ね、柿狩り&食べ放題を楽しみます!

日時 20021123日(土 祝日)小雨決行
集合 午前9時45分 JR木津駅 
参加費  1,500円 拝観料・柿園入園料(柿10ヶお土産付)
※小学生以下は無料
  お弁当は持参、またはご注文も承ります(800円前後) 
案内人 郷土資料館ボランティア「いずみの会」
山城町「ふるさと案内人の会」の方々
コース JR木津駅→大智寺不成柿・首洗池安福寺(十三重石塔[重要美術品])→上津遺跡→西念寺(薬師如来坐像[府指定文化財])(昼食)→松岡農園(柿狩り&食べ放題)→JR木津駅
歩行距離 約8km
お申込み
お問い合わせ
11月20日(水)までに、
やまのい和則事務所
電話0774-54-0703 Fax0774-54-0705

担当・岡本義孝(歴史探訪世話人)まで。 

主催 やまのい和則事務所_

 安福寺 

 東大寺を焼いた平重衡は、その責任を問われて文治元年(1185年)6月23日、衆徒の手によって木津川原において処刑された。当寺は重衡の菩提を弔うために建立されたものと伝えられ、これにちなんで哀堂(あわんどう)という。
 本堂に安置する本尊阿弥陀仏は重衡生害のときの引導仏といわれ、境内の十三重石塔は、その供養塔と伝える。また江戸時代の紙本淡彩平重衡像を所蔵する。__


 不成柿と首洗池 

 安福寺の北西、木津川の堤防の下には「首洗池」がある。重衡の首を洗った所と伝えられる。「山州名跡志」によると、同堤防の南の畠の中に柿の木があり、重衡が死に臨んで勧められて柿を食べたことにちなんで、植えられたが、何度植え継いでもついに実ることはなく、「不成柿」といわれたという。___


 大智寺

 「大智寺記」によれば、僧行基のつくった泉橋は、その後流失して架け替えされることもなく、柱は朽ちて放置されたままとなっていた。
 弘安年間(1278年〜87年)僧慈心はたまたま水底の橋柱から光を放つことを聞き、橋材を得て仏師安阿弥に一体の像を彫らせてこれを本尊として安置したのが大智寺の起こりとつたえられる。
 当時は橋柱寺、橋寺とよばれていたが寛文9年(1669年)僧本寂によって大智寺と号するようになった。本尊の木造文殊菩薩坐像(重要文化財・鎌倉時代)が橋柱で彫られたと伝えられる像である。____


 鹿背山 西念寺(木津町HP)

 鹿背山集落の小高い所に建つささやかな山寺、藤原時代の定朝様をおびた一本造りの薬師如来坐像を一体安置する。像高51cm、蓮肉と体部が一本で造られている点に古様を残している。薬師堂の脇に阿弥陀石仏、永正元年(1504年)と地蔵石仏、天文8年(1539年)の室町期の二体が並んでいる。_ _


 鹿背山城跡

 西念寺の背後山は城山と呼ばれ、鹿背山城跡である。室町時代の木津氏の城で文明2年(1470年)畠山義就によって攻め落とされた。その後一時、松永久秀の出城となったと考えられる。城の規模は、東西400m、南北300mで南山城では最大の出城であった。


 
 

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