あるグループホームの苦悩


◆グループホームはスタッフ次第。スタッフの質と数で決まります。しかし、今の介護報酬では夜勤問題を含め、なかなか十分なケアが難しいと思います。

私の感触では、2年後の介護報酬の見直しでは、当然、グループホームの介護報酬もアップすると思いますが、それまでに事故が頻発する危険性があります。

 また、その頃には、グループホームの入居者も今よりもはるかに重度化し、グループホームでターミナルまで介護することが大きな問題となっているでしょう。

■以下のレポートは、私の知り合いがグループホームを昨年スタートさせ、近況を送って下さったものを、了解を得て転載。グループホームの苦悩を描いたものです。

■グループホームの報告(1)
「探し続ける」
人は力や地位がある時期は大切にされるが、歳をとりそれらを失うととかく個々の権利も色褪せ、隅に追いやられてしまう。増してや痴呆症のお年寄りはなおさらだ。

対等な介護関係を築くことで、お年寄りの権利や主張を最後まできちんと考えて行こう、そんな思いに最も近い介護形態が痴呆性高齢者のグループホームだった。

しかし、いざ始めてみるといろいろな方がおられる。黙って裸足のまま外に出て行かれる方、深夜に冷蔵庫の中のものを食べてしまわれる糖尿病の方。

わずか六人定員のわがグループホームの玄関と、深夜のキッチンには鍵を掛けている。

これは顕かに「抑制」であり「管理」であると私は思っている。
つまり施設長としての「確信犯的決断」だ。

5名のスタッフと共に考えあぐね、交通事故防止と健康管理の名のもとに下した苦い決断だった。

お年寄り個々のその時々の思いに極力、添いたいと願えば願うほど、現在の3対1の介護人体制では、事故の危険率は上がる。

対等な介護と高齢者の権利遂行を願いつつも、日常ではこんなきつい結論を出さざるを得ない現実がある。

確かにグループホームは大きな施設よりは手厚い介護を受けられる。

だがもっともっと良い環境に出来ないものか、開設六ヶ月、スタッフ共々、模索の日々を送っている。

■グループホームの報告(2)
「光と陰」
昨年11月1日に開所したグループホーム。
いざ始めてみたら、思っていたことと現実とがあまりにもマッチしていた部分と、逆にギャップがあった部分がありました。謹んでご報告いたします。

◆光
まず、日中は、長いあいだ思い描いてきたグループホームのイメージにぴったりな出来事がありました。

昨日まで病院でパジャマ姿で過ごされていた方が、入居されたその日から普段着でリンゴや野菜の下ごしらえをされている姿を見せてくださいました。

「ばあちゃんが包丁を持っている姿を見るの何年ぶりだろうねー!?」と尋ねてきたお孫さんが嬉しそうに言われました。

また、紙オムツをはいて来られた方も1ヶ月で普通のパンツで過ごされるようになりました。

他にも、お顔の表情や顔色がとても良くなった、と以前の施設の方や、ご近所の方から言われました。その方の口からは、冗談まで出るようになり、スタッフ一同、日々、新たな発見で喜んでいます。

◆陰
一方で、目の前が暗くなるようなこともありました。

◎入所1週間で、施設から移って来られた方が疥癬に罹っているこ とが分かり、大騒ぎになりました。

 徹底的な疥癬バスター作戦で、他の方々にうつる事もなく、無事 に終結しました。

◎また、夜間に畳の上の布団から起き上がろうとして転んで小指を骨折されたり、朝起きてから急に呼吸が止まって、救急車のお世話になったり、この時は夜勤の介護士が人工呼吸を施し、咄嗟の危機を逃れました。

◎また、夜間の排尿回数も多く、ベッドや布団からの立ちあがりにふらつかれる方や、また、トイレの場所が分からないという中で、個室で休まれることはとても危険であることが、数日で分かりました。

◆衣擦れの音ひとつで私たち介護者がスッと手を差し出せる位置に居ないと、とても事故を防ぐ自信がありません。

不安と心配の中、今は四人の方が個室から大部屋に布団を移し、スタッフも一緒に夜を過ごしています。

夜間のトイレ介助は20〜30回が平均です。

夜中に個室から一人で起きてトイレまで行ける方や、ぐっすりと朝まで眠られるような方は、逆にまだご家族が家で看ていられるということなのです。

◎そして今、また新たな重大な問題が持ち上がりました。

 肺炎で入院された方が、鼻からの経官栄養になってしまい、その状態でグループホームに戻れるか?と入院先の病院から尋ねられました。

 ここには看護婦はいません。栄養を一日三回入れることは、何とか家庭でもやっていることです。

 しかし、病院では鼻の管を抜いてしまわれないように、両手をベッド柵に縛ってあるのです。

 ご家族は、抜けるとまた入れる時に痛い思いをするから可愛そうだけど、縛ることを了解しました、と。

 何とか管を外して、口から食べられないものかと、思いましたが、プリンすらも誤燕してしまう状態で、とても怖くて管は抜けない、
 また肺炎を繰り返してしまう・・・と。

◆いずれは起きる問題だとは思ってはいましたが、こんなにも早く起きてしまいました。

終末までグループホームで、という願いは医療の入り方で違ってきます。

本当に一人ひとりの状態に合わせて最後まで行けるのは、理想に近いのかもしれません。終末が近くなればなるほど、医療のバックアップ体制が不可欠となります。

入居を希望される方は日々、後を断ちません。重度の方が増えると、本当にグループホームケアに適した方がいつまでも入居できない状態となり、本来のグループホームのあり方もまた問われます。

医療度が高い方でも、最後まで暮らせるナーシングホームの必要性を今、ひとしお強く感じます。

優しくそして屈強な看護婦軍団がいれば出来ます。
グループホームをホスピスに、という提起も全国からは一部、出ています。

しかし、現行の介護保険下のグループホームでは介護報酬的にもそれを支えるだけの力はありません。

昼夜、看護婦を配置しなくてはなりません。

ご家族や理事長と相談した結果、止むを得ず、今回は再度、その方に老人保険施設に移っていただくことにしました。1月31日、11月1日に入居されてからわずか3ヶ月での退居となりました。

部屋の荷物を片付けながら、その方の穏やかな姿が思い起こされ、わずか三ヶ月で転々と居を変えていただくことになってしまったご本人への負担を思うと、かえってここを利用されなかった方がお元気でいられたのでは、という思いに苛まされました。

また、身の回り品の一つひとつにご家族の温かな思いが感じられ、ここなら安心してお願い出来る、と言ってくださったそのお気持ちにも何一つ応えられないまま、このようなかたちになってしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

私たちグループホームの力の無さと脆さをいやというほど痛感しました。

末期に近付きグループホームケアが限界に達したら、やはり次も小規模で家庭的なところで医療的ケアが出来たら・・。

核となる心身共に屈強な看護婦が一人いれば「ナーシングホーム」が出来る・・・。

理想と現実の狭間を埋めるべく、この悔しさを、何としても無駄にするまい、と、心に誓った出来事です。

2001年6月5日

                              やまのい和則


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