2003年5月21日 |
厚生労働委員会 会議録 |
本日の会議に付した案件 ○中山委員長 これより会議を開きます。 内閣提出、職業安定法及び労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。 この際、お諮りいたします。 本案審査のため、本日、政府参考人として厚生労働省大臣官房審議官青木豊君、医政局長篠崎英夫君、健康局長高原亮治君、医薬局長小島比登志君、労働基準局長松崎朗君、職業安定局長戸苅利和君、雇用均等・児童家庭局長岩田喜美枝君、保険局長真野章君及び社会保険庁次長伍藤忠春君の出席を求め、説明を聴取し、また、会計検査院事務総局第二局長増田峯明君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 ――――――――――――― ○中山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山井和則君。
本日は職安法と派遣法の審議の時間でありますが、先々週来質疑を行っております木村副大臣の問題、これはまだまだ疑惑が深まるばかりで、また新たな疑惑も出ておりますので、きょうは九時から十一時の間、四野党、二時間集中してこの問題を取り上げさせていただきたいと思います。 まず最初に、資料請求したことでお伺いしたいんですが、先日理事会に提出されました整骨の保険の適正化の資料ですね。あの中で、平成九年九月十七日の保険局医療課の資料、「負傷原因の記載例」というのが、六ページというのが唐突に出てきているんですが、この一ページ目から五ページ目を出していただきたいというふうにお願いしているんですが、いかがでしょうか。
資料を提出しますときに、実は私も同じことを申しました。これはなぜ六ページだけあるのと。これは、六ページだけ出すと、恐らく一ページから五ページまでどうしたんだと多分言われるだろう、これは余計に言われる原因をつくるみたいなものだ、だから、これはないのと言って僕も問いただしたんですが、いや、実はこの六ページだけ残っている、そのほかはないという話でありまして、それでは六ぺージもやめておくかと僕は思ったんですけれども、やめますと、また余計に皆さん方の疑惑を招くということで、ありますものを全部お示しするというのが順当だろうというので、全部お出しをした。 現実問題として、一ページから五ページまではないというのが現実でございますので、お許しをいただきたいと思います。
今のことは一例でありますが、理事会に提出された資料、不思議なのは、分析してみると、十月十一日に社団法人と医療課で一たん三部位以上を適正化するということで合意に達した段階までの文書と、その後は十二月一日に通達が出たときのものだけであって、この三部位問題が、一番もめにもめて、国会議員の方々も登場された、その三部位案が葬り去られたプロセスの文書というのが一切ないわけですね。この過程が非常におかしいということをまず指摘しておきたいと思います。 その次に、木村副大臣にお伺いしますが、この内部文書の中で、九七年十月二十四日に当時の室長と会って話をしたということに対して、私が聞きましたところ、全く身に覚えがないという答弁でした。それに対して、私は、全く会っていないと断言できるんですか、会って働きかけしていないと断言をできるんですかという質問に対して、合計三十一回、全く身に覚えがないという答弁を繰り返されました。 ここで、再度お伺いしたいと思います。身に覚えがないということは記憶がないということで、会ったことはない、働きかけをしたことがないと否定したことにはなっていないわけですから、新聞報道に、木村副大臣、疑惑を否定ということが書いてありますが、否定にもなっていないわけですね、記憶がないというわけですから。そこで、もう一度木村副大臣に身の潔白を、正すなら正すチャンスをお与えいたしますので、会った事実がない、働きかけをした事実がないと断言できるんだったら、今御答弁ください。
平成九年の十月二十四日の資料のお話でございます。 この柔道整復師会の療養費の支払いに関しましては、当時、担当の方と会ったかどうかとか、どのようなことを話したかというようなお尋ねでございますけれども、私といたしましては、次のような状況のもとで、私の気持ちに最も適切な言葉でお答えをさせていただくという趣旨から、身に覚えがない、こういう表現をさせていただいているところでございます。 まず、御承知のように、議員活動というのは大変大勢の方々と毎日毎日お目にかからせていただいているわけでございまして、面会も、日によっては二十も三十も、超えることもたくさんあるわけでございます。きのうやおとといのことも、先般もある議員から質問がございましたように、なかなか思い出すのが大変な中で、六年前の特定の日時にだれと会ったかということを思い出すということは大変難しいことでございまして、恐らくどなたも、例えば五年も六年も前の何月何日にだれと会ったかといったら、一から十まで正確なことを言える方というのは非常にまれなのではないかと、そのように思っているわけでございます。 そして、私は、先般もどなたかの委員の御質問にもお答えをさせていただきましたように、日記はつけておりませんし、手帳も持っていないのでございまして、それからまた、当時の……(山井委員「もう結構です、結構です」と呼ぶ)
つまり、否定ではなくて、記憶にない、覚えていない。否定も肯定もできないということで、疑惑は全く晴れていないわけですね。 となると、献金を贈られた香川県の接骨師会の山田会長が、働きかけの謝礼で贈った、会員にも相談して贈ったと、そう証言されているわけです。また、本当のことをしゃべって何が悪いんだろうということもその後おっしゃっていられるわけですね。そういう意味では、やはり、働きかけをされたということの方が事実であるということをこの場で確認しておきたいと思います。 次に、日本精神病院協会からの献金の問題についてお伺いしたいと思います。 先週水曜日の私の質問に対して、昨年十一月、十二月、十一月に三十万円、そして十二月には五十万円、日本精神科病院協会の政治団体から献金を受けられたということを御答弁されました。そのころは、まさにこの委員会室で心神喪失者医療観察法案が非常にもめて、審議が紛糾していたころであります。そして、ちょうどその当時、十一月六日の日本精神病院協会の集会で木村副大臣があいさつに登場されまして、そこで、法案成立に全力を挙げるというふうなあいさつをされたわけです。 そこでお伺いしたいんですが、この十一月六日の集会に参加されたというのは、公務で行かれたわけですね。
この会合に関しましては、御案内状を私の事務所にいただいたような次第でございます。それで、これは政務で行かせていただきました。
副大臣という肩書で紹介されて、副大臣という肩書であいさつをされているわけですから、副大臣として行かれたということであります。 そこで、これも質問通告してございますが、日本精神科病院協会から昨年もらわれた献金の額と日付、パーティー券や陣中見舞いを含む、その額について改めて御答弁ください。
何回も御答弁させていただいているんですが、政治献金は政治家の活動として法律上認められているものでございますので……(山井委員「そんなことは聞いていません。額と日付です」と呼ぶ)日精協政治連盟からの政治献金の額と日付、平成十四年の七月に三十万、十一月に三十万、十二月に五十万円、日精協政治連盟から私どもの政治資金管理団体に政治献金をいただいております。
平成十一年から十三年まで、つまりその以前三年間についてもお答えください。これも質問通告してあります。
日精協政治連盟から、平成十一年は見当たりません。二〇〇〇年は六月に百万円、十二月に三十万円の献金を受けております。二〇〇一年には三十万円と三十万円、それは八月と十二月でございます。
ということは、十一月に献金を受けられたということは過去なかったわけですね。ということは、十一月、十二月の献金の趣旨というのは、木村副大臣、どう理解されていますか。
分けられているのかどうか、相手の都合と思いますのでよくわかりませんけれども、いずれにいたしましても、私の政治活動への政治献金、一般的な政治献金、このように理解をしております。 ○山井委員 このことに対して、その献金をした側の日本精神病院協会の政治連盟の会長は、十一月の集会、心神喪失者医療観察法案の成立を期す、それを最大の目的とした集会にあいさつに来てもらった謝礼として渡したというふうにマスコミに対しても話しております。そう考えると、こういうことをして謝礼をもらっていいのかという問題も出てくると思います。 そこで、参議院の法務委員会でもこの問題が大問題になって審議がストップしたんですが、その際に、日本精神科病院協会の政治連盟の昨年の献金のリストを出すようにということが、委員会から要望があって、副大臣は努力しますと答弁されました。そのリストは出ますでしょうか。
先生がおっしゃっているのは、リストというのは……(山井委員「精神科病院協会が献金をしたリストです、昨年、木村副大臣だけじゃなくて」と呼ぶ)それは……(山井委員「参議院でも言っていることですから、繰り返しなんです、参議院でもそう言っているでしょう」と呼ぶ)
立って質問をしてください。
私の献金の話は先生の問いに正直に答えさせていただいたわけでございますけれども、ほかの方々のリストまでと言われても、これは私の及ぶ範囲のことではないと思うのでございますが。
今の答弁、参議院の法務委員会での答弁と違いますよ。それで一たん、そういう答弁だから審議がストップして、出すべく努力をしますということで審議が終わっているわけですからね。その問題はこれまた参議院でもっと大きな議論になると思いますので、これはここにしておきます。 それでは、疑惑が続くんですが、次に、社会保険病院のことに移らせていただきたいと思います。 昨年の十二月二十七日に、東京都北区で建設中であった社会保険病院が突然白紙になって、それで、採用予定の二百十人が急に解雇、内定が取り消された。それで、土地を含めて三百億かけてつくったこういう大きな病院が突然計画中止になったということで、損害賠償も起こっている大問題になっているわけですね。 そこでお伺いをしたいと思います。この問題についてですが、いつ中止が決まったんでしょうか。
東京北社会保険病院の問題でございますが、これは、社会保険病院のあり方が検討されておりまして、一つは、社会保険病院としての位置づけ、社会保険病院が本当に公的な病院としての位置づけが果たされているかどうかという問題。それからもう一つは、その社会保険病院全部、五十四ですか、その全部が全社連というところに全部任されて、全社連が運営をしている。その運営のあり方が正しいかどうか。こういうことを、両方がございまして、いろいろと議論になってきたところでございます。 昨年の十二月の二十五日に取りまとめました基本方針の中で、現行のこの社団法人全国社会保険協会連合会、全社連と言っておりますが、ここへの一括委託方式が、平成十五年から十七年までの経過措置期間を経て終了すること、もう少し見直して多様化をしていくということがここで決められているわけでありまして、新たに設置されます東京北社会保険病院につきましては、全社連にかえて新たな委託先を見つけよう、こういうことになったわけであります。(山井委員「いつ中止になったんですか」と呼ぶ)中止になりましたのは、二十七日に一応決定をしたということでございまして、現在、その新しい先を選考中でございまして、六月の半ばには決定できると思っております。 ○山井委員 この突然の中止に対して、木村副大臣は賛成をされましたか、反対をされましたか。
社会保険病院につきましては、政府管掌健康保険の厳しい財政状況を踏まえまして、昨年の健康保険法の改正の検討過程におきましても、そのあり方の抜本的な見直しが求められ、同法附則にもその旨明記されたところでございます。 これを受け、厚生労働省といたしましては、昨年三月に医療制度改革推進本部を設置いたしまして、この中で社会保険病院のあり方についての基本的な検討を行うとともに、新規に開院する東京北社会保険病院につきましても全体の見直し方針に即して、どのように対応すべきか、検討を進めてきたところでございます。 このような経緯を踏まえまして、昨年末に厚生労働省といたしまして、社会保険病院のあり方の見直しの方針を決定したものでございまして、今回の東京北社会保険病院の件につきましても、社会保険庁がその方針に基づいて対処したものでございます。
今の突然の中止のなぞを解くかぎが私は昨年十月三十一日の宮崎議員の参議院での厚生労働委員会での質問にあると思います。 その際に宮崎議員はどう質問されているかというと、その前の質問は坂口大臣がされていたんですが、この部分だけ「そして、木村副大臣には、社会保険庁病院の整理等についてどういうふうにお考えになるか、そして来年度の予算にもうこれを組み入れているみたいな話がございますが、そんなものはもう必要ないということで私は対応してもらいたいというふうに思うんですが、いかがでしょうか。」という質問が宮崎議員からありました。それに対して、木村副大臣はこう答えております。「まだまだ新しい病院の建設が続いておりまして、同じ四月一日に何かホテルのような社会保険病院がまた一つオープンしてテープカットをしたと、このようなばかなことがないように努めてまいりたいと、かように思っているような次第でございまして、」ということがあります。 このホテルのような社会保険病院が四月一日オープンというのは、これはどこの病院のことですか。
先般の健康保険法の改正におきましては、政府管掌健康保険の厳しい財政状況を踏まえまして……(山井委員「そんなことは聞いていない。どこの病院のことか聞いているんです」と呼ぶ)保険料率の引き上げや患者の一部負担割合の三割への引き上げ等国民に大きな負担の割合を求めることとなっています。(山井委員「聞いたことを答えてくださいよ。どこの病院ですかと聞いているんですから」と呼ぶ)いや、だから、このような状況を背景にいたしまして……
静粛に、静粛にしてください。
医療保険に関するさまざまな議論を踏まえて、貴重な保険料財源の使途として今後社会保険病院に多額の整備費の支出をすることは許されないのではないかと、そういう趣旨で答弁をさせていただいたものでございます。
質問に答えていないじゃないですか。どこの病院のことかと聞いているんですよ。
社会保険病院のことでございます。
どこの社会保険病院ですか。
社会保険病院全般について答えさせていただいているわけでございますけれども、当時、保険病院が、しかかっているのは六つぐらいあったと思います、ちょっと正確な数は私は覚えていませんけれども。そういう中でのこれからオープンする病院のことを申し上げさせていただいたようなわけでございまして、社会保険病院全体としてどんどんどんどん巨額な予算を使うということには問題がある。といいますのは、十年間で……(山井委員「いいです、もういいです」と呼ぶ)はい。
これは答弁違いますよ。月曜日の決算行政委員会では、社会保険庁の方が、計画中だったのはこの北病院しかなかったというふうに答弁をしていますよ。ここしかなかったじゃないですか。はっきりしてください。
計画中あるいは実施中の病院はたしか五つか六つあると思います。 ○山井委員 でも、計画中なのはここ一つじゃないですか。そのことはきっちりと認めてくださいよ。 大臣は聞いておられますよ、月曜日の審議。あのときは東京北病院しかないということを答弁されました、はっきりと。
建てかえの準備は数カ所進んでいたようでございますけれども、四月一日にオープンするのは、それは北病院である、そういうことでございます。
木村副大臣、四月一日にオープンするのは北病院ということでいいですね。今の大臣の答弁にありました。
四月一日にオープンする予定でございます。 ○山井委員 そこで、この北病院のことはそんなばかなことがないように努めてまいりたいと思いますという答弁をされたわけですね。この質問された議員の肩書を見ますと、日本医師会代議員ということであります。 それで、日本医師会の意見の代弁ともとれるわけですが、副大臣にお伺いします。なぜ、この社会保険庁病院の部分だけ副大臣が答弁されたんですか。何らかの、宮崎議員との打ち合わせがあったんですか。
大臣と副大臣の答弁は数とかに応じて割り振らさせていただいておりまして、私のところに来る場合もあれば大臣がお答えする場合もあるし、これは千差万別でございまして、そういうことでございます。 ○山井委員 この十二月二十六日の現地視察、唯一、一回、木村副大臣、現地に行かれましたね。そのときに社会保険庁や厚生労働省の関係者以外に業者を同行されたというふうに聞いているんですが、このことは事実でしょうか。
私が業者を同行しろと言ったことはありませんけれども、説明の中で、たしかあれは、この病院の建物の説明の中で、設計の担当者はいたように思っておりますが。
この突然の中止決定の中で、木村副大臣はどのようにかかわられましたか。
先ほどから申し上げているとおりでございまして、別段私がどうだこうだという話ではないんです、これは。 ずうっと前から、この話はおととしから続いているんですよ。おととしに、自己負担の割合を三割に上げる、三割に上げるときに、実はこの社会保険病院に何と約十年間で六千億円ぐらいのお金をずうっとつぎ込んできたんです。それをただで出していたんです、ただで。(山井委員「反対か賛成かを聞いているんです」と呼ぶ)ただでさしているわけでございます。それからずうっと議論が続いている問題でございます。 ○山井委員 ということは、今の話からすると反対をされたということですね。 ○木村副大臣 日本医師連盟から私の資金管理団体に対しましては、一年間ですか。(山井委員「まず昨年一年間を答えてください」と呼ぶ)一年間ですね。合計で……(山井委員「合計じゃなくて、日付と額です」と呼ぶ)五月に百万、七月に二百万、十二月に五百万。政治献金は以上でございます。(山井委員「パーティーは」と呼ぶ)パーティーは、三月に百万、十月に百万でございます。(山井委員「それで、十二月の日付と言っておりますので」と呼ぶ)
山井君、立って発言してください。
はい。 ○木村副大臣 十二月二十五日でございます。 ○山井委員 平成十一年から十三年、前三年間さかのぼりたいと思います、日付と、また献金額と、パーティー券も含めて。三年間、去年より前の三年間ですね、日本医師会政治連盟からの献金額と日付をお願いします。
日本医師連盟から私の資金管理団体に対しましては、一九九九年十一月に二百万、二〇〇〇年五月に五百万、十二月に二百万、二〇〇一年が、四月に百万、八月に二百万、十二月に二百万でございます。
今、二〇〇〇年と一九九九年。三年間ですから。
今答弁いたしましたけれども、一九九九年には、十一月二百万、二〇〇〇年には、五月に五百万、十二月に二百万、四月に百万、八月二百万、十二月二百万を受けております。最後は二〇〇一年。二〇〇一年には、四月に百万、八月二百万、十二月二百万でございます。
ということは、それまで、昨年までの三年間は、十二月の献金は二百万ずつだったわけですよね。ところが、昨年は五百万を受け取っている。それで、その受け取った日付、十二月二十五日というのは、先ほどおっしゃった突然の中止決定をされた十二月二十七日の直前なわけなんですね。このことと、日本医師会はこの社会保険病院の見直しに関してはどのような考えでしたか、木村副大臣。
日本の医師会長は、この件に関しましては、私とはちょっと意見が違ったような、そんなような感じがいたしたと覚えていますが。 いずれにしても、これは個人的な話なのでよくわかりませんけれども、医師会としてこのことに関しては一切何のお話もいただいたことはありません。
日本医師会はこの社会保険病院の見直しに非常に熱心であったわけで、それで、かつ宮崎議員が十月三十一日に質問をされているわけなんですね。この二百万、二百万、二百万が急に昨年の年末、この中止決定の直前に五百万、二・五倍にはね上がった、この理由はどう思われますか。 ○木村副大臣 これは、いつも相手の御心任せなんでございます。
その時期に、そういう社会保険病院のことももめている、また、これから医療制度改革も本番を迎えるという時期に、副大臣という立場でその時期にもらうということに対して、まずいんじゃないか、そういう意識はありませんでしたか。 ○木村副大臣 政治献金は政治家の活動として法律上認められているものでございますし、政治資金規正法に基づきまして適正に処理をしているところでございます。 私は、副大臣として公共の利益のために職務を遂行してございますし、心神喪失者等医療観察法案につきましても、とか、こういうような東京北病院の問題とか、それから医療関係全般の政策のことにつきまして献金を受けることはないわけでございますし、そして、いただいた資金の有無によって政策を曲げるようなことは決してございません。 それから、今、日本医師会から東京北病院のことについて陳情を受けたかと言いますけれども、日本医師会としては、この件に関しては全く、私に関しまして、私のところへ、東京北病院をどうしろああしろとか、そういう話は一切ございませんから、その点はどうぞお間違いのないようにお願いをしたいと思います。
そもそもこれは、坂口大臣、お答えいただきたいんですが、十月三十一日の時点では、この四月一日に東京北病院は社会保険病院としてオープンするという方針でしたね。(発言する者あり)
静粛に。
いかがですか。十月三十一日の時点で、答弁お願いします。
具体的な日程、今急にお話があって、そうだったかどうかということを今つぶさにわかりませんけれども、今までのスケジュールは、北病院、これは社会保険病院としてスタートする予定で進んできていたわけであります。 しかし、一方におきまして、先ほどからお話ありますように、これは三割負担の問題、いわゆる医療改革の問題とあわせましていろいろの御批判が起こっていたことは事実でありまして、見直すべきだという意見がだんだんと高まってきているときであったことも間違いがございません。 それは、先ほどから、例えば職員の給与等についても国家公務員よりも高いとか、いろいろな問題が出されておりまして、そうした問題で、いわゆる保険料をそのまま入れるということは、それは問題があるという御指摘があったわけでありまして、そういう問題もあわせて進行していた時期であったというふうに記憶いたしております。
私が聞いているのは、十月三十一日の時点ではまだ中止決定は出ていなかったわけですから、省としては、この計画は推進という方向だったわけですね。そのことを確認したいんです。 ○坂口国務大臣 ですから、まだそのときには進行していたわけでありますけれども、進行しつつ、そうした見直しの話も一方においては出ていたということでございます。
十二月二十七日に中止決定するまでは、当然これは社会保険庁と厚生労働省が進めていられた話なわけですね。ということは、もう一度これは議事録に戻らせていただきますと、まだ中止も決まっていない、そういう推進中の事業に対して、「何かホテルのような社会保険病院がまた一つオープンしてテープカットをしたと、このようなばかなことがないように努めてまいりたい」と既に答弁をしているわけなんですね。これは、副大臣、当時の政府の見解ですか、個人的な見解ですか。
何回も申しておりますように、これはずうっと長い間続いているんです。この議論が続いているんですよ。だから、その議論の中でいろいろな議論が出てくるのは、それは当然の話だと思いますよ。(山井委員「質問に答えてくださいよ」と呼ぶ)いや、質問に答えているじゃないですか。(山井委員「どっちの立場で答えたんですか」と呼ぶ)だから、質問に答えているわけですよ。 これは、ずうっと長い間議論が行われてきたんです。ですから、恐らく省内においてもいろいろな議論があるのは当然の話でございますけれども、やはりしっかりとした見直しを行って、何といっても、先ほどから申しているように、十年間で六千億円以上の金を、この社会保険病院を建てて、ただで、ただでですよ、貸していたわけですよ。 国立病院ですら、これはただじゃありません。国立病院は、ちゃんと借金をしてつくっているんですよ。自分のところの国立病院ですら借金をしてつくっているのに、何で社会保険病院だけは、国民の皆さんの保険料をいただいて、その保険料という、これはソフトのマネーですよ。本来であれば、保険料は皆さん方の医療費に使うべき話でしょう。それが何でああいうハードに使われて、ハードに使われて、しかも、特定の団体にただで貸しているんですか。 このことをおかしいと先生はお思いにならないんでしょうか。国立病院の方は、わざわざ財投等から借金をしてつくっているんですよ。そこの違いが一番の肝心のポイントなんです。だから、それはずうっと議論をしてきたことでございまして、当然そういう議論があっておかしくない話ですし、どうしてそういうところは問題にされないんでしょうか。
いい答弁を聞かせていただきました。そうやってこれを副大臣は大反対をされたわけですね。 ところが、聞いているのは、ばかなことはないように努めていきたい、そのばかなことというのを当時厚生労働省と社会保険庁は進めていたわけですよね。これでも、政府の答弁者、責任者である副大臣が、自分たちのやっていることをばかなことというのはやはりおかしくないですか。坂口大臣、この答弁を横で聞かれてどう思われましたか。
先ほども意見が出ておりましたように、これはそうした医療改革と並行して進めていた話であります。 国民の皆さん方に三割の自己負担をお願い申し上げる、そのお願いを申し上げます以上、やはりその保険料を使用する使用の仕方というものを、それは医療だけではなくて、ほかのことにそれが出ているということが問題視されているので、それは私は当然のことだというふうに思っておりまして、そこも、したがいまして、医療制度改革を、これは変えなければならないということになっていった、この社会保険病院の問題は変えなければならないというふうになっていたことは事実でございまして、それをどういうふうに、決着をするかというところまでは至っておりませんでしたけれども、その大きな流れの中で進んでいたというふうに申し上げたいと思います。
この議事録を見ると、木村副大臣がそんな「ばかなことがないように努めてまいりたい」という答弁の後で、宮崎議員は、「全く私と同じ考え方でございますので、せっかく木村副大臣、政府にお入りになりましたので、是非これは早急に改革をしていただきたいと思います。」要は、やはり副大臣になったからこのことを木村副大臣に要望しているわけですよね、医師会の代議員である宮崎参議院議員が。 それで、そういう意味では、わざとこれは木村副大臣に質問されたんじゃないですか。坂口厚生大臣だったらこういう答弁をしない、だから、わざと木村副大臣に答弁を求められたんじゃないですか。そういうできレースだったんじゃないですか。それでまた、五百万円の献金を十二月二十五日に受け取っている。 これは、二百十人が突然解雇された、そして、維持費が今、月に千二百万円もかかっているわけです。それで、この病院の院長は、十二月に入ってからも、再三再四、この病院は四月一日オープンで問題ないんですねと言ったら、十二月二十七日の直前まで、どうもありません、そのまま粛々と進めてくださいということを言われているわけですね。 そういう意味では、この社会保険病院の問題だけではありません、先ほど申し上げました柔道整復師からの働きかけに対して、献金、五十万円、謝礼を払ったというこの事実、それと、心神法案の審議中にもそういう集会に出て、そしてあいさつの謝礼を三十万もらったということ。こういう、副大臣の立場でもあろう人が政治で、あるいは副大臣という地位を利用して、結局はお金をもうけていくということになるんじゃないですか。こういう疑惑まみれ、お金まみれということでは、この厚生労働行政、やはり信頼を得ることができないでしょう。一億三千万人の命を守るという上では余りにも不適格だと私は思います。 坂口大臣、日本精神病院協会からの、十一月の集会のあいさつの謝礼ということで三十万円を十一月に受け取られた。それに対して坂口大臣は、やはり今後そういうことはないように慎みたい、木村副大臣に言いたいということをおっしゃいましたが、坂口大臣、月曜日の答弁、いかがですか。
それは政治献金として向こうはお出しになったんでしょうから、木村大臣がそれだけの御関係があって、これは政治連盟からおもらいになったんですから、私がとやかく言うべき話ではないというふうに思っております。 私は、それは、あいさつをしたからどうのこうのということでは多分ないんだろう、ふだんからの御関係でそれは献金をされたんだろうというふうに思います。
木村副大臣にお伺いしたいんですが、この社会保険病院の問題、大体これは今、損害賠償も受けていると思うんですね。その損害賠償は幾ら請求されていますか。
私自身は存じ上げませんので、事務方から答弁させます。
では、それは後でいいです。 二百十人が解雇されているわけですね。こういう突然の解雇の決定、そのことにおいてこういう献金が動いている、また国会での答弁も関係しているというのは大きな疑惑だと私は思います。 この心神喪失者法案について、もう一つ疑惑があります。 ことし一月、四月のパーティー、これは同僚議員であります阿部議員も聞かれているわけですけれども、一月、四月に大きなパーティーを香川県と東京でされました。その際に、この日本精神病院協会、そして日本医師会からパーティー券も購入してもらいましたでしょうか。
本年のパーティーの収入に関しましては、これは、政治資金規正法の処理といたしましては、来年に届け出をすることになっておるわけでございまして、ちょっと詳しい資料を私は今持ち合わせておりませんし、これは来年の収支報告書に、もしいただいているとしたら適正に処理をさせていただきたい、このように思っているような次第でございます。
そのことは先々週からお願いしているわけですけれども、どうしてそれを調べて公表してもらえないんですか。副大臣としてしっかり、そういう責任ある立場なわけですから、一月、四月のことというのはもう結果はわかっていると思います。身の潔白を証明しようとするならば、そのことをきっちりと話されたらいいんじゃないですか。
いつも申し上げておりますように、政治献金というのは、政治家の活動に対して御支援をいただいているわけでございます。それで、その処理につきましては、政治資金規正法にのっとりまして、適正にいつも処理をしているところでございますし、平成十五年分につきましては収支報告書にしっかりと記載をし、報告をさせていただきたい、このように思っているような次第でございます。
先ほど、日本精神科病院協会の政治連盟からの献金について、それは自分の管轄じゃないということをおっしゃいましたが、この協会は社団法人で厚生労働省の管轄なわけですね。 そこに関しては、こういう法案に関係するお金の疑惑が出ているわけですから、きっちりと、身の潔白を証明するために、そういう献金のリストを出すようにということを指導するのも厚生労働省そして副大臣の責任ではないかと思います。副大臣、いかがですか。
先ほどもちょっと質問がありましたけれども、リストというのは、私のことに関しましては法務委員会等でもお話しさせていただきましたけれども、ほかの方々のリストまで出せと言われたって、これは常識的に考えましても、そのようなことをお約束できるわけがありません。このことは、法務委員会でもちゃんと御答弁させていただいております。 このリストに関しましては、私は権限もございませんし、そしてそのような、ほかの方々のことまで言う筋合いのことでは到底ないわけでございまして、これは、いかな先生からの御質問であろうとも御期待のできるような答えにはならないなと、私はそのように思えてならない次第でございます。
これは別に私からの質問じゃないんですよ。法務委員会としてそれを要求されたわけでしょう、先週の木曜日に。それに対して木村副大臣は、努力しますということを答弁されたわけですね。どういう努力をされましたか。それで、その返答はどう来たんですか。 ○木村副大臣 これは参議院の法務委員会の話でございますからね。(山井委員「同じ国会でしょう」と呼ぶ)参議院の法務委員会の話でございますし……(山井委員「そんなこと聞いていませんよ」と呼ぶ)いや、これは参議院の法務委員会の話でございますよ。
ですから、そこで努力をしますと答弁されたわけですから、どのような努力をして、どういう答えがあったのかということを聞いているわけですよ。同じ国会の話じゃないですか。
参議院の法務委員会で先生と御同様の質問を、あれは江田五月先生から、もし御質問があればそれはお答えをさせていただきますけれども、そもそもその質問は私あての質問じゃないんです。あれは、あのときの質問は……(山井委員「木村副大臣あての質問でした。議事録持っています」と呼ぶ)あのときにリストを要求しているのは、私に対するリストの要求じゃないんですよ。(山井委員「議事録にはそうなっていますよ。私も現場で見ていましたよ」と呼ぶ)いえ、私に対するリストの要求――私には、江田五月議員から私個人への質問じゃないと、私はそのように思っておりますが。
木村副大臣への質問だったから、出せないと答弁して審議が五十分とまったんじゃないですか。それで、努力をしますと答弁して動き出したんじゃないですか。それが明らかな証拠じゃないですか。自分が一番わかっているわけじゃないですか。どういう努力をされたんですか、答えてください。
これは参議院法務委員会の話でございますから、参議院法務委員会の話の中で、リストの件は、私はこれは、江田先生が委員長に対してリストを出してくださいというたしかお話をされていました、そういうことじゃないかと、こういうふうに思っておりますので、それを、江田先生から直接私にリストを出せと迫られたことは、私も昨日帰ってきたばかりで、今向こうは真夜中の状況でございますので、頭の中は真夜中の状況でございますから、一〇〇%正しいかと言われれば、またそれはちょっとあれでございますけれども、これは、江田先生が委員長にお話しされた件だと思います。
委員長から木村副大臣に言ったんでしょう。
ですから、それだったとしたら、江田先生から直接の質問ではない。江田先生から委員長への質問でございます。 ○山井委員 時間が来ましたが、とにかくこの問題も、参議院の法務委員会で努力をしますと約束したのに、全く今の答弁は違うじゃないですか。ますますこの問題は深まってきます。まだこれからも、きっちりとこの問題をやっていきたいと思います。ありがとうございました。 |